アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「1953年 ライトアップ 新しい戦後美術像が見えてきた」。1996.6.8~7.21。目黒区美術館。

f:id:artaudience:20201124213549j:plain

「1953年 ライトアップ 新しい戦後美術像が見えてきた」。1996.6.8~7.21。目黒区美術館

1996年6月。

 

 たぶん屈折した興味だろうが、「1953年ライトアップ展」のこんな言い方で、見にいこうと思ってしまった。

『戦後美術の流れの中で、何も重要なことがなかった1953年にあえてスポットを当てることで、見えてくるものがあるはずだ』

 

 美術史を知らなかったが、これは自分が「タイムリーじゃないから」という理由で、通らない企画を通そうとする時の参考にもなるんじゃないか、と下心も持って一人で目黒美術館へ行った。

 

 よくある感想だが、いろいろな人の(といっても知らない人がほとんどだけど)いろいろな作品を見ることができた。その中でも、その著書を読んで以来、敬意もはらうようになった岡本太郎の絵画や、音楽家武満徹もいたらしい『実験工房』の立体的な作品は今の目で見ても新鮮で何か力を与えられるような気もした。人も少なく、ゆっくり見られて、バリエーションも多く結構、満足感もあった。その時は、時間的に、もうコーヒーを飲めなかったと思うが、中にある大きなテーブルでの喫茶コーナー(本当にこの呼び方がよく似合う場所)もいい感じだし、確かに企画の力というものも感じた。

 

 

「シンポジウム 1953年 私はこう見る」 6月14日。

 出演者=針生一郎瀬木慎一山口勝弘今井俊満/峯村敏明

 

 美術館のそばの体育館でシンポジウムがあって、電話で問い合わせまでして参加した。壇上には4人いた。私にとっては、遠い世界に見えた。その中の一人の評論家は、社会派やルポルタージュの美術がいいといっていた。

 

 その中で一人、造型作家がいて、こちらの思い込みかもしれないが、話し始めると、好感の持てる無邪気さを感じた。他の3人の話の多くは、申し訳ないけれど、私には難解だった。その中では、岡本太郎の『今日の芸術』がベストセラーになったうえに、読んだ人から、その人は特に美術と関係ないのに「生きる勇気を与えられた」と多くの反響があった。これは今でもすごいと思うという話や、ただ一人の作り手である造形作家の「日本の中でこわいのは、すぐ囲いこむこと。仲間で、言葉で。それが、こわい」といった言葉だった。初めての美術のシンポジウムだったが、難解に思いながらも、結果として、結構楽しかった。

 

 

(1996年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

artscape.jp

 

 

 

「紺泉 ある庭師—多分のひととき」。2007.8.10~8.31。原美術館。

f:id:artaudience:20201123114357j:plain

「紺泉 ある庭師—多分のひととき」。2007.8.10~8.31。原美術館

 

2007年8月25日。

 原美術館へ、友人と一緒に待ち合わせ、五反田で無事に会えた。

 

 コレクション展。いきなり大竹伸朗の作品があった。網膜シリーズ。このくらいの時の作品が一番いい、と友人は言っていた。私にとっては、これで、このまま行っていたら、今ほど興味を持てなかった、とも思っている。日本のぱっとしない光景を描き始め、それで、とても感心したのだった。それは直線的な欧米化とは違う、どこか神経をさかなでするような事なのかもしれなかったけど。

 

 その隣に藤本由起夫のガラスの板にたくさんのオルゴールがつけて(?)ある作品。ねじを巻いてもよくて、3人で同時に巻いて、音が出て、という手順が面白かった。でかいオレンジの作品が意外とよかった。

 

 ここは警備員もいないし、ゆっくりと見れるし、広さも手頃…いう言い方もどうか、という部分はあるにしても、来てよかった、という気持ちがわりと穏やかに起こりやすい。もう、7年もたつ須田の作品。最初はピンと来なかったけど、行くたびに少し好きになった宮島達男の作品。奈良美智の部屋。今回は、去年、青森で見た背景のある奈良の作品も見て、人物の感じがうすくなって、少しカワイイというよりは、ある意味、コワクなって、でも、見て、いいなー、と思えたりしたが、今回は、三島由起夫に扮した(という言い方がなんか違うと感じるのだけれど、それでいてモノマネともかなり違う)森村泰晶がアートに関して、三島のように、演説の後に切腹した三島のように…この時の様子って具体的には報道されなかったようだけど…しゃべって、見ていて、あ、最後どうするんだろう?と思っていたら、万歳三唱でしめた。なんだか、スゴくよかった。

 

 そして、企画展である紺泉は、庭にあざやかな緑色を並べたり、ブロッコリーの皿をたくさん並べたり、(これは、やっぱり販売していた)絵も、きれいでよかった。昔見たメガネやハイヒールを見た時と、いい意味で同じような印象で、まとまりがあるのだけど、独自なものがある、と思い、好感が持てた。

 

 しかも、カフェのメニューにも、作品としてのデザートが2種類あった。それに、いつものイメージケーキもあったから、3種類も食べれた。加藤美佳の作品で「みんなのお墓」というタイトルのもので、これは作りやすいからだな、とすぐに思った。宮島達男のTシャツ、色が変わるボール、「どうにかする力」のときたま、なども買って、帰りは品川の駅ビルの中のカレーを食べ、長い時間、話して、ホントに満足な一日になって、ありがたかった。だんだん、母のこと、その日々のあのつらさも、急速に薄れていく、その薄れ方も、薄れていっている事も意識しないと、どんどん変わっていっている。

 

 

 

 

(2007年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.tokyoartbeat.com

 

 

「わたしいまめまいしたわ 現代美術における自己と他者」。2008.1.18~3.9。東京国立近代美術館。

f:id:artaudience:20201122143218j:plain

「わたしいまめまいしたわ 現代美術における自己と他者」。2008.1.18~3.9。東京国立近代美術館

 

2008年3月1日。

 

 何か目をひくような豪華な材料はないのに、冷蔵庫のありもので、出来てみたら、想像以上においしく、そして、見た目も何が優れているか分からないのに、人の気持ちを盛り上がらせてくれて、食べる前も食べたあとにまで豊かな印象が残る。時々、この美術館は、そうした企画をしているような気がする。それは10年前に、プロジェクト・フォー・サバイバル。を見て、キュレーションというものの大事さを分からせてくれて以来、勝手に恩にきているだけかもしれない。

 

 今回も、ほとんどが、ここに所蔵してある作品を展示しているはずなのに、新鮮で面白かった。

 チラシも「わたしいまめまいしたわ」という言葉が、目の形になっているのがメインになっていて、(これ、上から読んでも下から読んでも、の回文、というものだけど)興味をわかせる工夫をしている。サブタイトルが、「現代美術における自己と他者」で、本来は、これがメインタイトルにするような展覧会が多いけど、でもそれだと人は来ないだろう、と思う。チラシの表には、澤田知子の作品。ID400。駅などにある証明用の写真で、400通りの人間になって、とはいっても、確かに、こんなに変わるなんてと思うけど、でも澤田という人だとは分かるような変装。でも、やっぱり、凄いな、と思う。

 

 明日は無料の日らしいけど、今日しか行けない。

 入場料420円は、ありがたい。

 中に入ると、人がけっこういて、意外だった。いつも、もっとガラガラガラ、の印象があるので。

 自画像がある。澤田の作品が並ぶ。ゲオルグ・バゼリッツの逆さまになった自画像がある。

 谷中安規の自画像。版画(?)なのだろうけど、不思議と緊張感の抜けているなイメージもあって、台所で上を向いて口あけて、みたいな姿。いいなー、と思う。

 

 それぞれの部屋というか区切りにテーマがあって、何かしらの説明がされている。これはある意味、効果的でもあるけれど、よく読むと、何だか難解なだけ、という見方も出来る。自分。自分自身。あまりにも、そればかりだと、たぶん、おかしくなってしまう。自分自身は、見ることが出来ないし。

 

 この七つの文字。

 高松次郎。うまい事言ってるけど、でも、もう古いような気もするが、それは、時間がたっているからで、問題はその時代に制作されて、今も残っていることだと思う。

 岡崎乾二郎。題名がやたらと長くて、でも、思わせぶりとは微妙に違うものもあるけど、その作品は、いろんな色がきれいだな、と思える抽象画といっていい作品。2002年に制作され、でも、その年代に、どうしてこういうものが?というのを聞いたら、いろいろ答えてくれそうで、でも、半分くらいは分からないだろうな、と思え、だけど、意外と分かりやすい事を言ってくれるような気がするのが、不思議な印象につながっているのかもしれない。それでも美術に厳しくて、ものすごく頭がいい人という印象も変わらない。

 草間彌生。インスタントラーメンの作る前の麺のような造形で、赤、その間に黒、そのすき間に緑の小さな点。横5メートル以上はありそうな大きな画面に、それが全部びっしりとあって、見ていると、確かに微妙なめまいが起きそうになる、と思える。他にも冥界への道標という作品があって、迫力がずっと保存されているような作品だった。

 ビル・ヴィオラの映像作品。止まっているようにしか見えないくらいの物凄くゆっくりと動いている映像。悲しんでいる5人、という説明があったけど、悲しみ方が演技に見えてしまうのは、このスピードのせいで、おそらくは適切な速度がある、といったことまで考えさせてくれる。

 フランシス・ベーコンは、きれいだった。この人の作品がたくさん並んでいるのはやっぱり見たい、と思う。そばにある舟越桂の彫刻。この2人の作家が、全体にまで、重みといっていいものを加えていた。

 そして、この美術館で初めて見て、写真を撮っている人の後ろ姿が確かに見えたと思った牛腸茂雄。セルフ アンド アザーズ。前見た時のように、後ろ姿がはっきり浮かぶという事はなかったけど、やっぱり写っている人の視線の不思議さは、不思議だと改めて思うけど、説明しきれる感じもしない。でも、今回思ったのは、撮影する牛腸氏への好奇のまなざし、というものが混じっているせいで、不思議なものになっていて、それを牛腸氏は分かっていて、たぶん他では見ることが出来ない種類の視線で、だから、やっぱりこれは撮影する人の事を抜きにして考えられなくて、写した空間みたいなものまで感じさせてくれるようなものになっている。貴重というより、もう誰も撮れない種類の写真ではないか、と思う。

 キムスージャ。針の女。いろんな場所で後ろ向きの女性が人ごみの中に、ただ立っている。だから、その周りの人の反応が、様々なのが分かる。4カ所で撮影してきて、それが部屋の四方のスクリーンに写っていて、すごく効果的で、面白かった。ラゴス(たぶんアフリカ?)の人達はにこやかに好奇心むきだしで、カイロの方は何だか不穏な感じだったり、ロンドンは、ほとんどいないかのように人が行き交っていて、その違いが面白かった。

 そして、高嶺格の作品。ゴッド ブレス アメリカ。

 2トンの粘土を使って、顔を作ったり、いろいろと変化をさせて、それにアメリカの国家がかぶさる。作者とそのパートナーが、その場所で制作し、生活し、その姿が物凄く高速で一瞬で移り変わっていく。たぶん、1ヶ月とかそのくらいだと思うけど。この粘土の姿が変わっていくのだけでも、十分に作品として成り立っていたと思うけど、傍らで生活をしつつ、という映像がなければ、あれだけ興味を持ってみれただろうか?と思う。それも、人の生活ののぞきのようなものの魅力というか、目が離せない、みたいな上品ではない好奇心みたいなところまで作者は知っているというか、そういうところが凄いというか、みたいな事を思って、やっぱりしぶとい感じが凄くした。この人の作品をまとめて、全部見たい、という気持ちにさせるけど、確か、山の中の洞窟みたいなところで見るしかない、といった作品もあるけど、でも、見たい、と思わせた。この魅力は、なんだろう?テーマが遠いはずなのに、自分に関係ない、と思えない吸引力みたいなものがある。

 常設展も見て、全部で2時間と少し。ゆっくりと見た。食事は、併設のレストランで食べた。とても、ゆったり出来た。行ってよかった。

 

 

(2008年の記録です。多少の加筆・修正をしています)

 

www.cinra.net

「奈良美智+graf A to Z」。2006.7.29~10.22。吉井酒造煉瓦倉庫。

f:id:artaudience:20201121163037j:plain

奈良美智graf A to Z」。2006.7.29~10.22。吉井酒造煉瓦倉庫。

 

2006年10月19日。青森県弘前。AtoZ展。

 

最初は、遠いし、時間もないし、母のことがあるし、ミサどのもいるし、で、あきらめていた。でも、この展覧会は行かなかったら、たぶん1生後悔すると思い、ホントに思い切って行くことにした。かなり安い航空券とホテルのセットが見つかったせいもあるが、そういうプランは直前のキャンセルが出来ないので、どちらかの母親の体調が悪くなったら、丸々お金が無駄になってしまうかもしれない、とセコイことも考えていて、少しドキドキしながら、申し込んで、その日に備えた。

 

 義母もショートステイに預けた。その次の日に、母の病院に昼頃着き、明日は休むから、と母に告げ、早めに出て、家に一回戻って、それから羽田空港に向かう。バスの中で、妙な高揚感。初めての青森県。飛行機に乗る頃は、すっかり暗くなっていた。空港で食事をして、飛行機に乗って、そして、2時間たたないうちに青森に着いていた。寒さにスゴくびびっていて、確かに寒いが、そこから市内へのバスが1時間近くかかったのだけれど、暗い中、周りも暗くてほとんどどこへ向かうのか分からないような不安もあった。

 夜になってから、弘前駅前に着いた。暗い中で、駅にかかった大きなポスター(?)の奈良美智の女の子がいる。AtoZ展。

 

 ホテルについた。

 朝、起きた時、窓の向こうに岩木山の少しうすべったい姿が、天気がよくて、かなりハッキリ見えた。青森に来た、青森が歓迎してくれている、と勝手に思った。

 

 ホテルのそばの「ミスター.ドーナツ」で朝食。そばに座っていた女の子が少しなまっている。空気がやっぱり冷たいけど、なんだか緊張感があって、気持ちいい感じもする。ここから、バスに乗る。古い乗り合いバスみたいな形。降りて、少し歩くと、もうレンガ倉庫だった。明るい場所に見えた。

 

 入り口で、リュックを預ける預けないで少し手間取ったり、中に入って、寒いので上着をとりに行くだけで、何だか逆行はダメと言われたり、いろいろ嫌な事もあったはずだが、何だかそれも含めて、時間がたつほど、行ってよかった、というような少し柔らかく大きめのふわふわした記憶になっているような気までする。

 

 中に入って、あちこちが古く、小屋がたくさんあって、そして、展示が多いために、途中で、少し疲れたりもしたし、2階に上がる時に、人数制限をするくらいの危うさはあったけれど、2階には黒い海が広がっていて、すごくよかった。小屋も、板張りの床も、いろいろな要素が、そして、カフェでのお茶も、なんていうか、体全体にしみ込んだものとして、あとになるほど残っていることに気がつく。

 

 その日は、夜はロッタという名前のカフェで食事をし、タクシーを呼んでもらって、駅まで乗った時に、過去の弘前の栄えた話と、白神山地は行かないのか?とも言われ、はははと愛想笑いをした。

 

http://harappa-h.org/AtoZ/press/AtoZpress0613.pdf

 

 

 

2006年10月20日。青森県立美術館

 また1泊して、次の日は朝早く起きて、電車に乗った。津軽三味線の音が、駅の発車ベルになっていた。平日でいつも聞いているであろう周りの人は反応がなかったが、妻と二人で盛り上がった。そして、青森駅に着いて、バスに乗って青森県立美術館に着いた。

 

 白いきれいな建物。

 中には縄文と現代というテーマでの展示。内藤礼岡本太郎…なんだか感心する…そして、奈良美智の常設展、さらに「あおもり犬」と名付けられた大きな彫刻はやっぱりよくて、雪の日にはその頭に雪がつもると聞いて、見てみたいと思ったし、それを語る時のスタッフの女性が、自慢とは違う、でも自然に誇らしげな感じが、すごくよかった。 

www.aomori-museum.jp

 

 今日、昼頃に飛行機に乗って、戻らなくてはいけない。今日は、母の病院に行かなくてはいけない。母の内蔵に病気が見つかってから、行かない日を、2日以上あけないようにしている。

 もっとゆっくりしたい。ここで食事もしたい。と思いながら、でも、タクシーに乗って空港へ向かう。

 空港に着いて、弁当を買って、機内で食べて、羽田に着いた。途中で妻と分かれ、私は母の病院へ、ほぼいつもと同じ夕方に着く。

 青森に行ってきたのがウソみたいだった。

 でも、行ってこれた。行ってよかった。

 

 

(2006年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

金氏徹平:溶け出す都市、空白の森 展。2009.3.20~5.27。横浜美術館。

2009年5月16日。

 日比野克彦ダンボールで船を作って、さらに、各地で育てた朝顔のタネを運ぶというプロジェクトも続けていて、それらを横浜でもやり、その船を展示しているというのと、金氏の作品をテレビか何かで見たかで、妻も見たいというので出かけた。みなとみらい線が出来てから、東横線に乗ったら、一本で着き、出口を出てから、わりと近くなった。以前は桜木町で降りて、そこからけっこう歩いて、という過程があったから、すごく近くなった気がする。駅について、美術館に入り、ロビーに船が飾られていて、そのプロジェクトを紹介するビデオも流れていて、妻は私より熱心に見ていて、そのダンボールの船はいつものように日比野克彦の作品に見えた。この30年間、どうしていつも日比野の作品だ、って分かるのだろう。

 

 しばらく見てから、金氏の作品を見た。

 樹脂のせいか、少しにおったが、しばらくたつと慣れた。

 いろいろな日常的にあるものを重ねたり、積み上げたりし、そこに樹脂をかけて、白くしていた。

 そういう作品が並び、もっとかければいいのに、もっと床一面も白くしてしまえばいいのに、と勝手な感想が浮かび、壁には白地図や塗り絵をコラージュしたものが貼付けてあった。どこか大竹伸朗のことを思い出した。

 

 絵画は、どこかオシャレな感じもある。大きなスクリーンでのアニメもしばらく見て、面白かった。

 

 木を使ってプラスチックのいろいろなモノを組み合わせて、小さな森のようなものにしてある作品が、一番しっくりきている気がした。スタイリッシュなたたずまいにさえ見えて、それが写真などで見た作家本人の感じとスゴく近いように思えた。

 

 フィギュアの髪の毛をだけを集めて、それを別のフィギュアに貼付けている作品もあって、それは、髪の毛だけで組み立てた方が面白かったのに、などと思ったけど、実際にそれは成立しないかもしれない。

  最後にいろいろな入れ物に白い樹脂(?)を入れて、それを並べてある作品があって、それは大きい作品だった。

 

 偉そうな観客の言い方になり申し訳ないのだけど、作家は、力を全部を出していない印象だった。

 コンセプト、みたいなものがまだ先行している感じがする。だけど、そのために、認められてるのが早かったのかもしれない。

 もっと出せるんじゃないか、と思った。

 まだ30歳だから、続ける事でもっとすべて出した作品が、これから出てくる可能性もあるので、また見たい気持ちはした。

 

 

 カフェの中のテレビがあって、そこでは金氏がしゃべっている、この展覧会のためのプロモーションビデオみたいなものが流れていたので、何回も同じ映像を見た。

 その中で、理解しなくてもいい。という言い方をしていた。さらに何度か、森の中を歩くように、という例えを使っていたけど、自分自身が、森の中は歩いたことはないから、理解できなかったのかもしれない。

 

 午後4時過ぎには家に帰ってきた。

 出かけてよかった。

 アートは見ると、いろいろな事を感じ、思い、考えたりして、何か違う気持ちになれる。

 

(2009年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

yokohama.art.museum

 

「木村太陽展」。2005.4.15~5.21。ヨコハマポートサイドギャラリー。

2005年5月13日。

 早く起きて、それも予定よりも20分遅くなったから、凄くあわてて15分くらいでしたくをして出掛けて、昼前に病院に着く。それから2時間ほど病院にいて「じゃあね」とレクリエーションのスペースで母を見送って、他の患者さんと少しだけあいさつをして話をすると、必ず「親孝行ね」と言われる。ホントにぎこちない笑顔しか出来ないが、夕方から用事があると言って、バスに乗る。昼過ぎに帰れるだけで、嬉しい。それから、電車に乗って、横浜駅で降りて、ホームで妻を待つ。視線があちこちに引き付けられて、いろんな人を見ていると、来ないなあ、と思っている時ではない瞬間に、妻がホームの少し離れたところにいるのに気がつく。

 

 待ち合わせは嬉しい。

 そこから、階段を降りて、改札口を出て、右に曲がり、東口方面へ向かう。地下街を歩く時はそうでもないが、外へ出て、高速道路が上を通っている道を歩いていると、主にクルマの走行音の、絶え間ない騒音が聞こえ続けてきて、すさんだ雰囲気が続いて、早く歩いて、目的地に着きたくなる。そこは、みなとみらい地区の、たぶん初期の開発地で、アルファベットの並んだビル。光は、たくさん入って、近代的と言われる作りなのに、あまり新しい感じがしないし、やっぱりざらざらした感じは、どうしても建物でも抜けず、なんとなく落ち着かないのに変わりはない。

 

 そのビルの中に、ギャラリーがあり、そこで木村太陽展をやっている。

 東京都現代美術館で、5年前にグループ展に出品していた木村の作品を初めて、実際に見た。すごくいい、と思った。体の感覚、それも誰にでも共有できるけど、そんなには経験していない⋯というより、経験したくないような、でも少し笑ってしまうような馬鹿馬鹿しいことを、真面目な顔をして、次々とチャレンジするビデオを見て、すごいと思った。

 

 それから、木村はベルリンへ行き、海外でのグループ展が多かったらしく、あまり見ることもなく、このまま日本ではあまり発表することもなくなるのかと思っていたら、ベルリンから帰ってきて、展覧会を横浜でやっているのを早朝の5分間のアート番組で知って、それで、このギャラリーに来た。

 

 ポスターはかっこよかったが、あまってもないし、販売もしていないんです、とギャラリーの受け付けの女性に言われた。

 

 へんな自転車。

 頭が割れている、変にコミカルな小さい妙な人形。

 壁につけてある縄跳びが、時々、急に回り始める。

 作り物の鼻が壁一面にあり、時々、ぶるぶると一斉に細かく動く。

 床においてある雑誌は、瞳の部分だけくり抜いてある。

 

 そして、洗濯物らしきものが雑然と置いてあって、そこに首を突っ込むと1人だけ見られるようなモニターがある。その映像は次々と変わっていく。

 魚をくわえて、その口にタバコをくわえさせ、煙を出す。

 たぶんドイツ製の、どこかカッコよく見えてしまう洗濯機の中に、マヨネーズなどたくさんの調味料や食品をいれ、スイッチを入れる。

 

 その印象は、5年前と変わってなかった。

 空間がたっぷりある、そのビルの喫茶店で、妻とコーヒーを飲んでいたら、木村太陽本人も見かけた。妙に透き通った表情は、5年前に見た時と変わらなかった。

まだ、見ていきたい、と勝手に期待してしまった。

 

(2005年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.tokyoartbeat.com

 

 

ヨコハマトリエンナーレ2011。2011.8.6~11.6。横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)、その他周辺地域。

f:id:artaudience:20201117102556j:plain

ヨコハマトリエンナーレ2011。2011.8.6~11.6。横浜美術館日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)、その他周辺地域。

 

2011年9月6日。

 義母をショートステイに預けているので、妻と昼頃からトリエンナーレにでかけられる。今日も妻は、義母を午前中に見に行ってくれて、考えたら、預けているのに、1日に1回は見に行ってもらっているのだから、負担が変らなくて大変だとも思うが、でも、行ってもらっているから、安心して出かけられるのはありがたい。

 

 横浜美術館とバンクアートがメインの2会場で、最初の2001年には桜木町から、かなり華やかにトリエンナーレを主張するようなものがたくさんあったのと比べると、最寄りのみなとみらい駅も普段通りのようだったが、横浜美術館の前にウーゴ・ロンディノーネの大きな顔の像が並んでいる。それは写真とか映像で見ていたのと微妙に違って、けっこうプラスチックのような素材を使っているのに、手の作業を残すような作り方をしているせいか、存在感が増しているようで、それを前に妻も私も、どの顔が好きかを選んで写真を撮った。今回は、中も、けっこう写真を撮っていい作品が多いと聞いて、それは何だか入る前からうれしかった。

 

 美術館に入ると、一人が着ている衣服をすべてほどき一本の糸のようにして一つに巻き上げた作品が並んでいて、それが渦巻き状に並んでいて、かなりきれいなものもあったり、ボタンやファスナーが飛び出ていたりと、かなり面白い作品は、イン・シウジェンが作ったものだった。ぼんのうと同じ108人分あるというのをガイドブックで知った。

 

 さらにロビーには透明なボックスの中に電話があって、そこに少し迷いながら進むと、それはオノ・ヨーコからかかってくるかしれない電話だった。その中で若い人達とも少し待ったが、かかってこず、どうやら、4日前にはかかってきたらしいので、という事だった。でも、実際にかかってきたら、何をしゃべればいいんだろう。

 

 学生割引が効いて、うれしかったし、ボランティアと思われるスタッフの人達が感じがよくて、感心もし、中に入っていって、いつもよりもたくさんの作品を並べてあるように見えた横浜美術館を2時間近くかけて見た。

 

 砂をはき続ける白い服を着た女性を延々と映し続ける映像が、撮影や編集がうまくて人をあきさせないことに感心し、ダミアン・ハーストは何千匹のチョウの羽を使った作品を並べて、なんだかイメージ通りに思えた。池田学は、手間ひまが形になったような作品で、本当に、かけた時間が何かを伝えるということも見たような気もした。岩崎貴宏は、ビクセン(子供の頃のある種のあこがれ)の望遠鏡でのぞくと初めて気がつく作品で、ものすごく小さい針金やほこりを使ってタワーや横浜コスモワールドの観覧車を作っているのは、気持ちが少しわくわくした。マイク・ケリーが、スーパーマンの故郷の都市を作っていたりするのも、似たような気持ちになれた。

 

 床に敷き詰められたキラキラしているのはものすごくたくさんのイミテーションダイヤで、その中に一つだけ本物のダイヤがあるという作品は、スタッフが近づかないでください、と繰り返すのも分かるような気がして、少し前に来た子供の団体で、その中の一人がその中に踏み込んだらしく、小さめの足跡を残していた。

 

 薄久保香は、写真のようで、でもアニメ寄りの軽さもあって、少し日常とは遠いようで、日常の中にいるような少年がいる風景を描いていて、いいな、と思っていたら、妻は、これが見たかった、としばらくたたずんでいた。

 

 かなり楽しかったが、おみやげとして買うものはなく、ガイドブックだけ買って、次の会場へのバスを待っていたら、もしかしたら次は乗れないかも、ということを聞き、微妙に焦っていたら、妻と一緒に、ぎりぎりに乗れて、次のバンクアートに向かえた。

 

 天井から突き出した木の根っこは、2階、3階と行くうちに、さらに幹となり、樹木の上部となっていて、面白かった。ピーター・コフィンの3Dのフルーツの映像は、妻が気に入っていた。山下麻衣+小林直人の作品は、砂浜から砂鉄を集めて、スプーンを作る、というもので、それは会場には砂の山の上にスプーンが立っているだけど、ビデオでその行程を見ると、なんだか、すごく納得がいって、ふわっと面白かった。

 

 それでも、バンクアートの作品の中で、一番、印象が強く、あとになっても感心が残ったのは、クリスチャン・マークレーの作品だった。ものすごく大量の映画の映像から、時間を表す映像を集め、それで24時間を1分ごとに作っている、という気の遠くなるような作品だった。その時刻は実際の時間と完全にシンクロしているから、今、何時だ、というのも分かるが、何しろ、その映像がただ時刻を表すものを切り取る、というのではなく、その映像の、そこにこめられているものまで伝えようとするような編集に思え、ただばらばらにした感じがしないところがすごく感心した。これまで、こういう作品を作ろうと思った人は何十人もいただろうけど、その手間ひまを惜しまずに、これだけきちんと作ったのだから、すごいと思って、これが、今年のヴェネティア・ビエンナーレの金獅子賞をとったというのは、すごく納得がいった。

 

  結局、それから、この中でお茶をして、午後6時近くになった。

  まだ、他の会場の分のチケットもあるけど、行けなかった。次には行きたい、と思った。前回のトリエンナーレは、もう終わりか、というような気配だったけど、今回は楽しかった。この時期は、大学生がまだ休み、ということもあるかもしれないが、若いカップルが多かった。

 

(2011年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

ヨコハマトリエンナーレ2011

https://www.yokohamatriennale.jp/archive/2011/