アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ゲイリ−・ヒル 幻想空間体験展」。2000.9.1~2001.1.14。ワタリウム美術館

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「ゲイリ−・ヒル 幻想空間体験展」。2000.9.1~2001.1.14。ワタリウム美術館

2000年12月20日

 妻とケンカして、でも、一緒に出かけた。

 ワタリウムに行く前に、表参道のロータスというカフェ、に行った。オシャレなところは柄でもないのは分かっているが、かっこいい所が前より好きになったし、最近そういう所も店員さんが愛想がいいし、おいしいわりに安いし、で結構満足した。心臓の病気になって、これから、アルコールを一切飲まないと決めたせいもあるかもしれない。

 そこを出る頃には、妻とも仲直りした。

 

 ワタリウムで、以前、ゲイリー・ヒルの作品を見たことがあった。人間の手が写っているが、微妙に震え、その感じが、ちょっとひりひりして、いい感じだった。ビデオアートによくある様々な映像が変わっていくものよりも、とてもリアルだった。それで覚えていた。

 

 この日のワタリウムは、中へ入ると光りが閉ざされ、暗く、女性の悲鳴みたいなものが響いていた。一人では、かなり恐かったかもしれない。

 

 壁にとても小さな何だか分からない像が少しずつ大きくなる。それは、こちらに向かって歩いてくる女性。そして、急に叫び始める。

 後ろの壁には、丸い動き続ける光。一ケ所だけで、ピントが合って、その時だけ水平線が見える。

 

 その上の3階では、ゲーリーヒルが壁にぶつかりながら何か喋っている像がパッパッと断続的に映る。その言葉と像と光りの微妙なずれが、おもしろい。

 

 さらに、4階では机の前に座って何か動く男の両腕と頭の後ろの3ケ所からの映像が分割されて映っている。何で、じっと見てしまうんだろう?と思うくらい、しばらく見ていた。

 

 他には、壁にその向かいの光景を写し出しながら、その部屋をずっと回り続ける機械があった。つまり映っている映像は、その対称の位置にあるもので、少し見ていると、おもしろい、と思えてくる。時々、その部屋にいる観客も映っている。

 

 この作家の新作が出来た。と聞けば、多分、また行くと思う。

 

 

(2000年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

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「パサージュ:フランスの新しい美術」。1999.7.17~9.19。世田ヶ谷美術館。

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「パサージュ:フランスの新しい美術」。1999.7.17~9.19。世田ヶ谷美術館。

 

1999年9月4日。

 この冬。ここに来た時も、母は病気だった。この日、弟が大阪から来たので自宅に戻り、そこから美術館へ行った。久々の日常的なパターン。今日行かないと、もう行けない。そういうあせりばかりが、いつも強くあった。

 

 パサージュ。フランスの新しい美術。フランスは、去年、ワールドカップで優勝もしたし、という気持ちにもなっていたら、中にはサッカー部屋といえる作品もあった。アディダス。ル・コンテ。そういたスパイクが並んでいる。ゴールがあって、ゴミとしか思えないものも散乱している。どうやら、仲間とサッカーをやった後の様々なものらしい。でも、ビデオにはみんなでサッカーをやった時の模様が流れ、うらやましくなる。

 

 薄い紙で覆われ、下には水がはってあって、そこを裸足になって歩くような作品。その冷たさは、やはり印象に残りやすい。かびで出来たものが並ぶ部屋。広島で原爆が落とされた時刻だけ、黒い線が引いてある腕時計。その時刻になると、全部が真っ白になる。どうして日本で、こういうのが作れなかったんだろう。買い物をして、その包装紙を破き、その商品と共に並べた作品。巨大なマッチ箱みたいな作品。

 

 どこか楽な気持ちになる。

 未来の暗さを、ほんの少しだけ、忘れられた。

 

 

 

(1999年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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「メタモルフォーゼ・タイガー 立石大河亞と迷宮を歩く」。1999.11.19~12.23。O美術館。

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「メタモルフォーゼ・タイガー 立石大河亞と迷宮を歩く」。1999.11.19~12.23。O美術館。

1999年12月。

 立体がおもしろい。ピカソとか岡本太郎とかを本人と作品がごちゃごちゃに溶け合っていて、でも重すぎない。でも絵画は、ふしぎ、とかの形容詞などをつけても、説明過剰な印象は強い。すごく律儀な気配もあるように思う。

 

(1999年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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「ピカソと写真」。1998.7.8~8.23。サントリーミュージアム〔天保山〕

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ピカソと写真」。1998.7.8~8.23。サントリーミュージアム天保山

1998年8月12日。

 

 大阪出張の途中、時間の空きが出来た。そして、天保山へ行った。暑い。海のそばの美術館。お台場を、遠くに思い出す。美術館は、大きな窓と、そこから見える海のイメージが強い。後になって、安藤忠男の設計だった、と後に知る。でも、思い出してみても、その現場とのしっくりした具合は、確かに高かったような気がする。外と中が一体化しているような気がした。

 

 ピカソ。そのイメージの源泉。

 そんなことがテーマとして書いてあったと思ったが、写真と、それをもとにして描いたという絵が、ほとんどそのまま描いてあるだけだった。同時に、確かに何を描いてもピカソはものすごくピカソな感じもする、ただ、もっと奔放にやっていいんだ、という開けた気持ちも確かにしてきた。そういうエネルギーが、ピカソの関係しているものには、ある。でも、こうやって書いていて、ピカソのことを語れるような力量はあるのか?自問したくなることもある。そういう凄さなんだろうな、とも思う。

 

 たぶん、人に見せることをあまり意識してないものもあったりする。と書いていて、いや、あれだけ生きている時から注目され、それを本人も分っていたら、まったく人の目を意識しないものはあり得るのだろうかと、思ったが。

 

 でも、女性の写真に「落書き」とたいして変わらない書き込みみたいなものがあったりするのだが、こんな便所の落書きのようなものまで、カッコ良く見える。それはピカソだから、という意識をゼロにできるかどうか分からないにしても、なるべく、そう見ても、ピカソじゃなく何も知らずにと思って見ても、そう感じると思えた。

 

 こんなところまで、差が出てしまう。ものすごく技術が高いのは、観客にまで分かる。

オリジナリティにこだわるのは才能といったものがないというか、自由じゃない、ということなのかもしれない。

 

 ここで、アンディー・ウォーホルのことを思い出した。オリジナルというものに関わることだ。ウォーホルが、商業美術の世界からファインアートへ移ろうとして、(考えたら商業美術の世界で成功するのも大変なのに、)いろいろ模索していた時、コミックのコマを大きく描くこともやっていて、リキテンスタインが同じことをやっていたので、やめ、そして、キャンベルスープ缶を選んだというエピソードが軽く語られていることが多いような気がするが、先にやられたというショックはウォーホールにはなかったんだろうか。それとも、ああ、そうか、コミックは材料が多いから逆にマンネリになるな、とか思ったんだろうか。先を越されたと思った時の、ウォーホルの気持ちも、知りたい、といった、思っても不可能なことだった。

 

 

(1998年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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「フィリップモリスアワード1998 最終審査展」。1998.6.30~7.10。東京国際フォーラム・展示ホール。

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「フィッリップモリスアワード1998 最終審査展」。1998.6.30~7.10。東京国際フォーラム・展示ホール。

 

1998年7月4日。

 

 いろいろなものは確かにあった。

 タバコの会社も、いろんなことをしていると思う。でも、相当、利益をあげて、その還元なのだろうかとも感じる。

 妙な動きをする乳母車みたいな作品が、印象に残った。

 

(1998年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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「こたつ派」。1997.7。ミヅマアートギャラリー。

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「こたつ派」。1997.7。ミヅマアートギャラリー

 

1997年7月7日。

 

 会田誠。この人のこだわりは、たぶん同世代のリアルだろう。とても見たくて、見たくないような作品に感じる。

 

 なんでだか知らないし、今もどこかにあるかどうか知らないけど、その昔、30年くらい前、空き地に半分くらいのページ数になっていたエロ本が落ちていた。雨が降った後は、ぱりぱりになっていた感じ。あれを会田誠で、思い出すのだった。

 

 その会田誠がプロディースした展覧会。全体の雰囲気は覚えているが、申し訳ないが、他の3人の作品はあまり覚えていない。ただ、その中に山口晃がいて、その後、本当に目覚ましい活躍をするのだけど、そのときに、その気配は、自分が未熟かもしれないけれど、感じなかった。

 

 

(1997年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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「北大路魯山人 展」。1996.10.5~11.24。東京都庭園美術館。

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北大路魯山人 展」。1996.10.5~11.24。

東京都庭園美術館

 

1996年。

 北大路魯山人

 目黒の庭園美術館は静かできれいで人が少ないと落ち着いて好きな場所だ。

 ただ、今回は結構混んでいた。中年男性がたくさん来ていた。

 

 昔の茶碗などを『本歌取り』と和歌の伝統的な用語を使い、要するに真似していた。それ自体は悪いと思わないが、素晴らしいので真似してみました。と素直に言わずにどこか偉そうに見えてしまった。

 

 年表にこんな言葉を見つけた。

 最初の妻と離婚する時に「芸術家の妻にふさわしくない」と言って、自分から別れを告げたと書いてある。こうした言葉を本当に言う人は、初めて知ったような気がする。

 

 焼き物、書、あとはこちらも無知で良く分からないのだが、とにかく分かりやすい日本の伝統の様々な作品が並んでいる。少し細かく解説を読んだりすると、自分で作るだけと言うよりは、プロデューサー的な事も、かなりしている人のようだった。

 

 器用な人だったのだろうし、自分をこう見せたいと決めてそれを実現する能力は凄かったんだろうと、思う。

 魯山人が様々な作品を作っているのを見て、周囲の少しの人には聞こえる声で「天才だよね」と、つぶやく中年男性がいる。こういう評価を死んだ後も得られるというのは狙いは凄くあたっている、ということのようだ。

 

 でも、私にとっては、今回の作品を見て、本当にすごい芸術家とは思えなかった。でも、魯山人のもてはやされ方は、無視できない法則をキチンと押さえているのだろう。そして、今の中年男性というのは現代人の一つの典型だろうから、彼らのあこがれに見事になっているというのは、何か今の時代を象徴するものを魯山人が体現しているということだろう。

 

 だから、今回も、観客が多く訪れているのだと思った。

 

 

 

(1996年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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