アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「時代の体温展」1999年2月11日〜3月22日  世田谷美術館

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「時代の体温展」1999年2月11日〜3月22日 

 世田谷美術館


 

 1999年の時の記録です。その時のメモに少し修正加筆をしています。今、読んでも、自分の事情が多く、アートを見始めて3年で、まだ見方も浅く、この展覧会の凄さを十分に分かったとも思えず、文章も、読みづらく申し訳なく思います。それでも、追い詰められ、辛い自分の状況と、アートを見にくることとが、自分の中で切り離せないことになっていた、と思います。この展覧会の構成が優れているのは感じていたと思うのですが、不勉強なせいで、東谷隆司がキュレーションをしていたのは後で知り、そして、2012年に東谷が亡くなったことも、そのあとに知りました。

 

 

 

1999年3月15日。

 個人的な事情に過ぎないのだけど、かなり厳しい状況だった。

 治らない。もう、このまま会話ができるような状況に戻ることはない。そう思っていた母の退院のメドがついた。完全に意志の疎通が出来ないままと思っていたので、かなり気がゆるんだが、これからのことを考えると、まだまったく先は見えないことに変わりはない。

 

 これまで長年にわたって通院してきた病院の内科医は、母の症状が悪化し、何を言っているのか分からなくなっていて、それで入院をしたのに、何度頼んでも、精神科の医者に診せようとしなかった。

 

「一時的な症状で心配いりません。ただ、一人暮らしは避けてください」。

 

 去年から、妻の母が一人暮らしになった。80歳を越えて耳がほとんど聞こえず、腰は曲がり長くは歩けない。だから、私たち夫婦と、一緒に住むようになった。そうした、こちらの事情を、内科医は知ったうえで、「一人暮らしは避けてください」しかしか言わなかった。それができれば困りはしない。ずっと夫婦別居して、お互いに介護をしていくしかない。それ以外の方法を知りたくて、専門医に会わせてください、精神科医に診察させてください、と言っていたのに、その病院には、「神経科」があって、精神科医がいたのに、理由も分からないまま、かなえられなかった。

 

 もうすぐ、母は退院する。どうしたらいいのか、分からなかった。

 

 どこか無力感と共に、ここに来た。雨が降っていた。

 

 奈良美智の作品と恐さと可愛さは相変わらずリアルだった。立体が、館内のあちこちに、目をつぶって、低いところで、こちらに手をさしのべている。今の時代にフィットしていると思ったし、これだけ追い詰められて、何も受け付けない気持ちだったのに、そこにも少し染みてくるのが、分かる。

 見に来ている中年女性が、やたらと「かわいいわねー」を連発している。それには違和感を憶えるが、それでもそういう見方もさせるのは、開いている作品ということだろう。少年ナイフの曲をヘッドフォンで聞きながら、ドローイングなどを見ていると、また気持ちの動きが微妙に変化してくる。

 

 大竹伸朗の作品。ダブ平&ニューシャネル。ロックをテーマにしていると、チラシで知った。西洋のモノマネのカッコ悪さ。それでも、じゃあどうするみたいな部分。結構、わかりにくいところ要素もあったはずだった。だけど、見ている時は、あらゆるものが集積され、それが違うものになるような、過剰なものを感じ、ドメスティックな、逃れられない、空気みたいなものは感じ、そして、時おり、自動演奏があったみたいだけど、いわゆる「かっこよさ」とは遠い演奏で、そのことで、ちょっと混乱するような気持ちになった。

 

 公立の美術館の中に、生々しい、緊張感もあるのは感じられていて、たぶん、それが今の追い詰められていた自分には、どこか、支えられるような、どこか親近感みたいなものも、少し感じていた。

 

 一番、印象に残ったのは根本敬の作品だった。美術館の中に、浮浪者の住処という、本当にごちゃごちゃしたスペースを作っていた。匂うような感じもした。嫌悪感と好奇心。でも目を引付けられるようなむき出しのもの。他人事と思わせない雑然さ。70を越えたゲイの老人のズリねたのスクラップの生々しさ。

 

 雨が、まだ、ふっていた。

 

 でも、こういう美術館のような場所で、珍しく、かなり深いところから上がってくる熱気のようなものを、確かに感じた。

 

「彼らは共通して理屈よりもみずからの衝動や、ものの手触りを大事にし、気負うことはありません。その表現がはらむ熱。それをこの時代の体温として感じとってみたいと思います。

世界の中の日本をちょっとお休みして身近(DOMESTIC)な場所としての日本のART。これは、この時代を生き抜く『私たち』の展覧会です」。(チラシの言葉より)

 

 生き残るという発想が、ものすごくリアルに思えてきた頃だった。

 そして、ここには、それが形になっているようだった。

 

 外へ出たら、雨が小振りになっていた。

 何も変わっていないのに、風景が、ほんの少しくっきりと見えるようになった気がした。

 

 

 

 

世田谷美術館 ホームページ これまでの企画展

 「時代の体温展」)

https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00094