アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「松井みどり×タカノ綾  マイクロポップ対談」。2007年3月22日・20時〜22時。ワタリウム美術館 B1ブックショップ。

f:id:artaudience:20200520192156j:plain

松井みどり×タカノ綾  マイクロポップ 対談」.2007.3.22。


 ワタリウム美術館から、メールニュースが来て、この企画を知って、かなり早めに電話で申し込んでいた。マイクロポップという「考え方」には、文章を読んだだけだと、それほど理解ができなかった。

 

 でも、その展覧会は水戸芸術館でやって、そして出品するアーティストが好きな人が多いので、できたら見に行きたいとは思っていて、そんな時に、こういう対談だし、キュレーターも話すし、ということで行きたくなった。

 

 夜8時に始まるというので、早めに出掛けたら、30分くらい前にワタリウムに着いて、誰も来ていなくて、まだ会場の準備もできていなくて、うろうろしていた。久々に「オンサンデーズ」を見て、伊藤存のTシャツがかっこいいな、欲しいな、と思い、大橋歩の「アルネ」という雑誌を買って、入場券ナンバーで整理します、みたいな事を言われて、受け取ったら、整理番号は「1」だった。

 

 はしっこの席に座り、あ、タカノ綾だ。と思っていたら、松井みどりも来たようだった。失礼ながら、顔を知らなかった。さらに、西島大介も参加する。

 

 そして、話が始まる。

 最初に松井みどりが、話しはじめる。

 マイクを持って話し始めると、次から次に言葉が出てくる。

 

 90年代に入ってきて、変わってきた日本の美術。

 最初に森村泰昌がいて、宮島達男がいて、

 次に村上隆がいて、奈良美智がいて、

マイクロポップ」と名付けたのは、それに続く第3の世代、という言い方だった。

マイクロポップ 」には、いろいろ条件や定義をつけていた。

 日常の断片。

 忘れられたようなもの。

 お金をかけないもの。

 小さいもの。

 

 スライドでの作品や作家の紹介にうつった。

 島袋道浩という作家の作品。

 線路ぎわの家の屋根に「人間性回復のチャンス」という看板みたいな、手書きの文字がある。

 これは阪神大震災の時、作家の友達の家が壊れ、それを直す間だけ、このような作品を設置させてもらったものだと、いう。

 すごく面白いと思った。

 

 それから、海外の作家の作品。

 犬のしっぽ。

 犬が尻尾を動かして、できた輪っかみたいな模様を写真におさめたもの。

 それから、サインペンで自分の名前を書き続けて模様みたいに見える作品。

 トム・フリードマン

 

 冷静な紹介の言葉だった。

 もっと自分が凄いと思ったり、好きだと思ったり、そういう話をせっかくだから聞きたいとも思った。でも、評論とは、そういうことではないのだろうとも感じていた。

 

 その後にタカノ綾が少ししゃべった後に、西島大介が話しだした。

 そして、その話の途中で松井は、急にテンションがあがった。

マイクロポップは趣味的じゃないですよ」。

西島が、

「いや、切実なのは分りますよ。松井さんの話を聞いても」。

と穏やかな感じに返したが、松井の熱量は下がらなかった。

「個人的な切実さは、どうでもいいんです。

理想として、できない理想として、美術以前の美術⋯人間の想像力、それだけが一番重要で、個人的な切実さは、2の次で⋯」。

 さらに、松井は言葉を続ける。

「なにか、外からくるもの。

ハイデガーが言っているそうだけど」。

 タカノ綾は、そのハイデガーの言葉には共感できるという言葉を返していた。

 

 西島は、その後、エヴァンゲリオンとかが出てきたら、もうアニメもマンガもかけない、と思っていた、という話を始めた。

 松井氏は、ずっと話している西島を、見過ぎでは、と思うくらい見続けていた。

 

 そして、タカノ綾が、西島に、聞いた。

 おたくになるための修行みたいなことを言っていたけど、何をやったんですか?

 

 西島は、宮崎駿大友克洋の作品をトレースして、自分のものにしようとして、でも肝心のアニメ絵がかけなかった。という話をして、それに対して、他の二人は「芸術的だ」と言い、それでも、西島氏は、ゆるいと言われるおたくのものでも「なにか」があるものはある、という言い方をしていた。

 

 そんなにスムーズにかみあっていないのだけど、時々、生々しく感情がかわされるような、不思議な熱量と情報の交換に見えていた。

 

 途中で松井が、「いいと思ったものには根拠はない」という言い方には、信頼がおけると勝手に思っていた。さらに今回のマイクロポップを見に来て、そして、ケンカになった人との出来事は、ある意味、凄く良くできた話だった。

 

 ある人が来て、この展覧会は、自分のアーティストとしての誇りを傷つけられた。気紛れだよね。それは崇高さとは関係ない。だから、文化人として自分を傷つけられた、みたいなことを言った。

 それに、松井氏は答えた。

「文化人としてのナルシシズムを満足させるためにやったわけじゃない」。

 そんなやりとりがあって、それから、最後に、その人が独り言のように言ったらしい。

 自分は、ここにいる人達のように、この先に行けないのかも。

 だから、年とったのかな、としおれるように帰っていった。

 松井は、そんな話をした。

 

 奈良美智の作品については、松井が挫折した時に見た奈良美智の作品が心に染みた、ということなのではないだろうか?と思ってしまったが、それは松井本人にとっては、あまりにも単純で情緒的すぎる見方と批判されるようなことなのかもしれない。

 

 美術以前の美術。

 今回の展覧会でのケンカ。

 松井の話の中で、一番、印象に残ったのは、その2つのことだった。

 

 特に、松井の話に関しては、自分の理解力不足のため、半分も理解していないのかもしれないと思った。

 

 

(2007年の記録です。多少の修正・加筆しています)。

 

 

 

ワタリウム美術館ホームページ

www.watarium.co.jp