アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし」。2015.6.2〜7.26。東京藝術大学大学美術館。

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「ヘレン・シャルフベック」展。2015年。

2015年7月23日

 テレビで紹介されていて、それも妻と一緒に見て、見たいと思っていたら、近所のギャラリーで知り合った人が、すごくよかったと言っていたと妻が聞いたらしい。自分の無知で、まったく聞いたことがないアーティストだったけど、見たいと思って、もうすぐ会期が終る頃に行けることになった。

 

 上野から歩く。10分ほど歩く。東京藝術大学の中にある美術館。学生にとって、すごくいい環境で、うらやましくなる。シャルフベックは、3歳の時にケガをして、満足に歩けなくなって家で絵を描く生活の中で、才能を発揮して、その絵は10代なのにうまい絵だった。ピカソの若い時のような絵だった。

 

 そこから、パリへ行って、印象派の頃で、新しい絵が出てきた時代で、その影響による試行錯誤が絵に出ていてた。だけど、婚約者と破談になって、そのあとの絵が評価されて、という流れだけど、確かに、その「快復期」と名づけられた絵の女の子の目はすごかった。回復したようには見えないけど、凄みみたいなものがあって、それはムンクの絵を思い出したりもした。

 

 それから、地元のフィンランドに帰って教師となり、それも絵を描く事に専念したいというような思いで描き続けていたらしく、体調も崩す。そのあと、40歳を過ぎたあたりで、母親と二人暮らしになり15年くらい同じ小さな街にいつづける、という、今も介護をしている私にとっては、他人事とは思えない生活を、シャルフベックがおくっていた時期があった。

 

 その生活の中で、昔学んだ絵のことが開花した、という表現もされていたが、その頃の絵は、◯◯風だったりして、(セザンヌとか)、個人的には、開花でなく、停滞とか、混乱にしか見えなかった。

 

 そんな中、シャルフベックのファンという20歳くらい下の男性を好きになり、(友達なら、やめなさいよ、あんな男と、言われそうな)その男性が若い女性と婚約して、ショックで、という時に描いた、キャンバスの裏に描かれた自画像が、半分削られたようになっているが、その痛々しさみたいなものがすごく、それは佐伯祐三の顔を消した自画像に近いと思えた。

 

 今回、資料を読んだだけなのだけど、母親が恐そうな人で、そのせいか、前衛的な感じは否定されていたようにも見えたのだけど、母親が亡くなったのが、ヘレン・シャルフベックが60歳くらいの時で、そこから、自分の昔の絵(フランスへ行く前)のような感じに描いているようにも見えた。それはイラストみたいにも思えたが、何より伸び伸びと絵を描く才能を出している印象がある作品が並んでいた。

 

 それなのに、晩年(1946年没)は戦争が激しい頃で、やはり、生まれてきた時代や母親との関係とか、いろいろな重さがあるものの、晩年の「黒いリンゴもある静物」(1944年)が、すごくよかった。

 

 運があるとか、ないとか、嫌でも考えてしまったが、それでも何しろ絵を描き続けて、こうして知らなかった人間にも届くのは、やっぱりすごいことだとも思った。

 

 

(2015年の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

 

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