2000年2月2日。
生まれつき盲目の人に、「あなたが美しいと 思うものは?」と質問し、その答えを写真と共に並べた作品(「なぜ、これがアートなの?」1998年)を見てから、とても気になっていた作家だった。ただ、その作品から受ける印象だけではなく、本人は目的に向かって真直ぐ進むエネルギーみたいなものが、想像以上にあると思えた展覧会でもあった。
原美術館での作品群。自分が、好きな男にふられるまでの日々を写真と文章で並べていく。「その日まであと何日」。そんなカウントダウンのスタンプを押してある。その時は、そういうことが起きるのをまったく知らないわけで、まず思い出したのは「宇宙戦艦ヤマト」だった。あと何日という表現に、どうして妙に惹かれるんだろう、と思う。
1階の展示室の、写真を見ていくと、作品とはいえ、全然知らない女性が男にふられることに心理的に付き合わなきゃいけないんだろう。という気持ちが出てくる。でも、あと何日という感覚は、何かあった時に強く思う感覚も思い出してくる。ああ、あの時、まったく知らないで気楽に、または楽しくしていたけど、でも、その時は来てしまうんだ。未来から見た過去は、ノスタルジーに彩られるけれど、不幸な出来事への日々は、もうどうしようもないのに、ここをこうすれば、みたいな無念さがこみ上げて、余計に取り戻せないのに、取り戻したい気持ちが強くなる。気がついたら、おそらく共感に近い気持ちになっている。恋愛関係のことは、今の人類では、かなり普遍的なことでもあるから、こうして作品になるのかもしれない、と思う。
そして、ソフィはふられた。
2階へ上がる。その事を知ったホテルの部屋が再現してある。自分には何の関係もないのに、じっくり見てしまう。自分の中のふられた体験などというものと、どこか共振しているからだろう。それとも、それだけでなく、自分の中の「のぞき見趣味」を満足させているだけなのだろうか。
次の部屋。
ふられてからの作品の方が、多様性の度合いが上がる。
それから、数カ月、ソフィは会う人ごとに自分がふられた話をした。そして、相手にも自分がこれまでに出会った最も不幸だと思われる話をしてもらう。それらの中には、男にふられたぐらいではない、と第3者からは思える生と死に関するエピソードも少なくない。それと共にソフィが語る話も刺繍で日本語となって並べられているのだが、日がたつに従って、男を悪く言う言葉も出てきて、そしてその語る文章も短くなり、さらに「よくあるつまらない話よ」みたいな客観的な言い方も混じり始めた。
時間が解決する、ということ。
気持ちが、立ち直っていくこと。
そういう、見られないはずのものが、そこにあった。
それは、人の気持ちの修復の過程みたいなものまで、見せてくれていたように思う。
そして、不幸な出来事は、思ったよりも世の中にあふれているんだと、いうことも、少し分かったと思えた。
こんな個人的なことが、作品になるんだろうか。と最初は思ったが、見ていくうちに、予想以上におもしろくなった。作品も、自分に引付けないと、もうリアリティが出ないということかもしれない。この美術館に合った企画だとも思った。そして、普段は、そんなに本を読まない妻が、もしかしたら私以上に、その刺繍で書かれていた文書を熱心に読んでいた。そういうことも含めて、すごいと思った。
(2000年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。