アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

『大竹伸朗  ビル景 1978-2019』。2019.7.13~10.6 。 水戸芸術館現代美術ギャラリー。

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大竹伸朗  ビル景 1978-2019』。2019.7.13~10.6 。

水戸芸術館現代美術ギャラリー。

 

2019年9月6日。

 今年、ギャラリーに行って、そこで大竹伸朗の作品を見て、それがかなり古いものだったのだけど、やっぱりカッコいいと素直に思えて、そこでチラシと、さらに小さいチラシのようなものをもらったと思っていたら、小さい方が招待券だった。水戸芸術館は行くと、いつも楽しい記憶が多くあったのだけど、ただ、今までは介護があったから、妻と二人で出かけるのは、ショートステイを使っている時だけだったし、そう考えると、水戸は楽しいけど、遠いという意識が強いままだった。

 

 ちょっと心も縮こまっていたようだったのだけど、その招待券と、チラシのかっこよさと、大竹伸朗水戸芸術館の組み合わせで、やっぱり、あ、行きたい、と思って、そのテーマは「ビル景」ということで、40年間、ずっと描き続けてきたもので、どんな感じかは想像もつくような気もしたけれど、でも、いつも実際に見にいくと、やっぱり違うので、妻に相談したら、あっさりと行くことを賛成してくれた。

 

 出かける前に、サイトを見たら、Tシャツを売っている、という情報を知り、見たら、思ったより、かっこよくて、一つは前も後ろも、ビルのドローイングで覆われているようなデザインで、ただ七千円もするのだけど、それでも買いたいと思った。さらには、もう一つは背中にコラージュされているデザインがよかった。それから、今まで欲しかったTシャツもあった。それは妻が着ていて、似合ってて、かっこいいなと思っていて、それがあったら買いたいな、と計算したら1万3千円くらいになった。

 

 これだけ節約している気持ちで抑えたように生きていたのに、Tシャツになると気持ちがゆるむのか、それとも去年、介護が終わって半年がたって、やっと体力が上がってきたので、気がついたら少しヤケクソになってきたのかと自分を疑うような感じでもあるのだけど、それを想像しただけで、珍しく、というか、もう10年ぶりくらいに、気持ちがあがったような感触はあった。

 

 当日までにも、水戸への高速バスの乗り方とか、確か去年は乗ったのだけど、その時は一人だったから、東京駅はダッシュで移動していたから、妻と一緒だと、もう少し余裕を持って出かけたいけど、前日は仕事だから、連日、やや早めに起きないといけなくて、といったこともプレッシャーになったし、せっかく遠出するから、バスの中で何か少しでもおいしいものを食べたほうがいいよね、と思って、どこで買えばいいのかも調べて、出かけるまでに、ちょっと疲れていた。

 

 当日は、思ったよりも、いろいろなことがスムーズで、東京駅の高速バスのバス停で、ちょっとバタバタしたりしたけど、バスの中でおにぎりを食べて、すこし寝て、そして、バス停で降りてから、わりとすぐに水戸芸術館に着くし、ということで、そこまででもう気分はよかった。

 

 

 荷物をクロークに預けて、手荷物だけにしたのに、入り口で、そのバッグに対して「それも預けてもらえたら」といったようなこを言われたのだけど、「これは、もう大きいのは預けたんです」といったら、では、このマークをつけてください、といわれて、そこから、ギャラリーへ入っていった。

 

 第1室は、もう絵がうわーっと並んでいた。ビルの絵。ビルに見えないビルの絵。描き方の濃密さと、もう40年くらい前なのに、まだ動いているような絵。一つ、一つ、見ていって、説明の紙を見ながら、その年数やタイトルを確認したが、それが途中から面倒臭くなってきて、そして、圧倒的な数で、時々、昔見たような作品もあったが、確か、10年前に見た時は「全景」というタイトルでの大規模な個展があって、東京都現代美術館では展示室を全部使って、2日行ったはずだけど、まだこんなに作品があるのかと思った。

 

 部屋によっては、暗くしてあって、絵に照明を当てると、絵自体が発光しているようにも見えたし、吹き抜けが高くて、トップライトがある部屋には、街の音がする立体作品があって、それは、時間がたつと、あ、港の音かも、と思ったり、これ何の音?と思うような音になったりしていて、そこでしばらくたたずんでいた。

 

 そして、2001年の同時多発テロをテーマにしただろうと思える作品もあって、あれはビルだった、といったことを思い出したりもした。確か4室くらいで、この展示は70歳以上は無料でもあるから、おそらくは、それで入場したかもしれない女性が、スタッフに「あとどれくらいあるんですか?」という聞き方をしていて、それは理解できるくらいの分量だった。

 

 5室で折り返すと、そこから細長いが、長い展示室の両側に、びっしりと作品が並んでいて、そして、この展示は、描き続けていることを追体験するような、運動を見ているような、そんなことだと思うようになったが、高揚感と、疲労感の両方があった。

 

 一度見終わって、それからショップに行き、自分がちょうどいいサイズのTシャツを持っていって、あれこれ試して、予定通り3着のTシャツを買い、バッジも買い、ポスターのガチャガチャもして、それは五百円で、10種類のポスターということを知り、その過剰さが大竹伸朗なのかも、と思った。その感じは、うれしかった。

 

 そして、もう一度、展示室を見て回った。

 

 気持ちよかった。

 これだけ描き続けてしまえば、それ自体、その行為自体が作品なので、感想もいうのが難しくなるし、いいか、わるいか、というか、気持ちいいとか、かっこいいみたいな感じを持てるかどうか、ということなのかもしれない、と思った。

 

 帰りは、そのそばのカフェに行った。10数年ぶりのはずなのに、まだ健在で、おいしかった。そのカフェは、古くなっている、というよりも、変わらない、という印象のままで、うれしかった。そのことを、以前はいないに決まっている若いスタッフに、会計をすませて、店を出る時に話したら、オーナーに伝えます、と言われ、そして、そのカフェ「Rin」は20周年と聞いて、長くやっていることを知って、時間が流れたことも実感した。

 

 午後6時過ぎの高速バスに乗れて、今日は思ったよりもテキパキと進んだように思った。帰りも、途中で少し寝た。楽しい1日で、夏休みの終わり、という気持ちになった。

 

 

 

 

 (2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

 

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