アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

東京計画2019 Vol.5 中島晴矢 「東京を鼻から吸って踊れ」。2019.11.30~2020.1.18。ギャラリーαM。

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東京計画2019 Vol.5 中島晴矢 「東京を鼻から吸って踊れ」。2019.11.30~2020.1.18。ギャラリーαM。

2020年1月8日。

 正月があけて、中旬で終わってしまうので、やや焦りながら出かける。駅で降りて、歩く。バス停に、これ以上ないほどコンパクトなベンチがあって、雨でかなり濡れている。いつになったら乾くのだろうと思えるほどの感じ。住所を間違えていたが、思ったよりもスムーズに現地に着く。

 

  今回も外部からキュレーター(藪前知子:東京都現代美術館学芸員)を招いて、5回に分けて、5組のアーティストの個展を開いてきた。それも「東京計画2019」というテーマで約1年をかけて続けてきて、その最終の展覧会となって、初日にトークショーもやっているので、そういうこともふくめて、ぜいたくで、ありがたい企画だった。

 

 階段を降りて、ドアを開ける前に、掃除道具が並んでいて、その看板には、「clean and dance」

と書いてあって、作品だ、と思えた。入ると、ビデオ作品が正面にある。「東京を鼻から吸って踊れ」という名称が優れていて、すごく人目をひくと思えたが、ギャラリーの受付のところには、展覧会の作品とその説明の紙がきちんとある。作家の中島は、ライターでもあるせいなのか、文章が伝わりやすい印象。映像作品の音声が、いくつも重なって聞こえてくる中、番号通りに見ていくことにする。

 

1、high school emblem

 作者の東京の最初の原風景が、私立の中学、高校へ通ったことで、今回は、その土地が一説には麻が豊富にあったから、ということで、当然のように大麻もあったのかも、ということから、土地によって禁止になったり、合法になったりは、合理的ではないのではないか、という示唆もある。そして、その学校の校章は、麻の葉を元にしたデザインである、というのは、この学校が、いわゆる進学校の名門でもあるのを考えると、その校章を立体の作品としているのにも、さらに意味が加わるように思える。

 

2、普請石

 東京はずっと工事中、つまり「普請中」であるとの見立てが作家にはある。定礎の石がビルにはあるが、東京は、それよりも、「普請中」とすべきではないか、という文章があり、作品としては、それが石の四角い形となって、そこにある。あると、あっても不思議ではない気がしてきて、確かに、東京には「普請中」の方がふさわしいかもしれない、と思えてくる。

 

3、Tokyo Sniff

 東京の政治的シンボルである東京都庁の立体(石こう?)をガンガンと砕き、それを、やはり丹下健三が構想した「東京計画1960」の地図に上に、その砕いた粉をラインに引いて、それを鼻から吸っている映像。こちらもフィクションの映像で知っているだけだけど、コカインなどをそうやって吸っている姿は、何度もみてきている。石こうとしても、鼻から吸うのは苦しそうで、せきこみながらも、その行為を続けている。いろいろな意味を自然と読み取れる映像になっている。

 

4、芝浜駅

 受付の後ろの壁面に、駅で見かける駅名表示の板。そこに、「芝浜」という駅名。実在の「高輪ゲートウェイ」という名前は、今の東京かもしれないが、芝浜がふさわしいのではないか。落語のように、嘘とわかっていても、みたいな文章があり、その駅名の表示板をみて、意味合いが複雑になっていくのが分かる。

 

 それから、渋谷の再開発の時に、その地区がゴーストタウン的なものになった印象を形にした「5、close window」 という作品や、吉原に勤めていた女性の実像を想像させる文章と、かみそりを首筋にあてている現代の日本髪の若い女性の写真は、うしろにスカイツリーが写っていて、過去と現在をつないでいる。「7、Tokyo Suicide Girl Returns」。

 

 さらに、いくつかも作品があって、見ていくと、充実した気持ちにもなれるのだけど、今回のオリンピックに関連しそうな場所を、掃除して回る「14 TOKYO CLEAN UP AND DANCE !」 は、「ハイレッド・センター」の行った行為のオマージュとしての行為で、掃除をして、回っている。

 

 その姿を記録した映像を見ていると、その行為を目で追いながらも、そこに写っている東京も、時間がたったら、また変わっていくから、貴重な記録になるかも、といったことを思うが、掃除をしている人たちへ、本当に無関心で有り続ける歩行者も、偶然映り込んでいるのだけど、今の都会の空気みたいなものも伝わってくる。

 

 それから、新国立競技場の建設前と建設後に、作家の中島本人がその前の道路で、シャトルランを繰り返す映像は、マラソンなどが札幌で行われることを考えたら、真夏にこの行為を行ったことさえ、また意味をさらに積み重ねていると、思う。

 

 最後に、「玉音レコード」を聞く。その内容そのものが、本当に本物なのかは自分には判断すらできない。周囲の作品の音の中で、東京を掃除する映像を見ながら、久しぶりにレコードをヘッドフォンで聴きながら、この内容だったら、一度だけ聞いても、内容をすぐに理解するのは相当に難しいのではないか、とも思いながら、これで歴史は動いて、それが今につながっている。そして、それからの時間の中で、オリンピックを2回も、行おうとしているのが、今の東京だったりする。自然と、その長い時間のことも、考えさせられる。

 

 すごく考え抜かれた展覧会だと思った。東京という場所が、その歴史的なことを考えると、当たり前だけど、複雑な要素があることも、改めて思った。だから、展覧会を見る者が、東京への視点の変化を促されるような気もした。

 

 

(2020年1月の時の記録です。多少の加筆・修正もしています)。

 

www.musabi.ac.jp