アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「日本ゼロ年」。1999.11.20~2000.1.23。水戸芸術館現代美術ギャラリー。

f:id:artaudience:20200703105223j:plain

「日本ゼロ年」。1999.11.20~2000.1.23。

水戸芸術館現代美術ギャラリー。

 

2000年1月22日。

 美術手帖のプレゼントで、当った入場券。さらに、美術手帖などで、この展覧会の話を読んで、気持ちが盛上がっていた。よく美術館などで見る「難しいと敬遠されがちな現代美術ですが⋯」といった考えよりも、「現代美術という枠そのものをリセットする」という態度の方が100パーセント正しいし、かっこいいと思っていた。椹木野衣の文章を読むようになって、椹木がキュレーションしている、この展覧会は絶対に行きたいと思うようになった。たぶん、のせられていたのだと思う。

 

 泊まって、午前中からゆっくり見ようとプランをたてていたら、翌日の朝に、緊急の知らせが留守番電話に入っていて、どうして、夫婦で初めての旅行の時なんだろう。どうして、せっかく母を預けて時間を作った時なのだろう。と、自分の未来のなさを思って、ちょっと悲しくなったが、とにかく水戸芸術館は行くことにした。最初に、館内ツアーというものがあって、ガイドがついて全体を回った。形が街の中でも目を引く水戸芸術館タワーにも登った。小さな丸い窓から、水戸の街も見た。

 

 岡本太郎で、展覧会は始まっていた。遺作の絵画には、力があった。土の作品は中に入りたかった。ヤノベケンジは、でかい潜水艦みたいなものまで持ち込んでいた。少し前に東海村で大規模な放射能漏れがあった。アトムカーはあっという間に止まったらしい。会田誠は、なつか画廊でも見たのが含まれていた。戦争をテーマにしている絵画が並んでいる。ヤノベのガチャポンは米や金ダワシが出た。ヤノベの作品に分かりやすく関係あるものが欲しい気持ちはあったが、確かに、この方が「サヴァイバル」ではあった。大竹の作品は、ちょっとあっけにとられる。宇和島駅の表示は何だかすごい、と思う。

 

 カタログも買いたかった。入場する前はあったのに、見終った時は売り切れていた。自分の不運をまた感じる。ただ、このカタログに関しては、後日、ハガキで再版してください、と要望を出し、もちろん、そのことが関係しているわけではなく、他にも要望が多かったせいか再版が決まり、手に入れることが出来た。その時は、とてもうれしかった。活字が多く、読むところが多い。展覧会の写真を、自分で貼り付けていく、というスタイルも珍しかった。この頃から、展覧会のカタログが変わってきたようにも感じている。写真と短い文章。そういうのだけでなく、持って帰ってから読んでもいいものに変わっていったように思う

 

 この展覧会は、行って、よかった。

 

 チラシの文章は、椹木野衣が書いている。

 

『日本ゼロ年の〈ゼロ〉は、既成の枠組みをリセットすることを意味しています。単刀直入にいって、ここでの「既成の枠組み」とは、ほかならぬ「現代美術」のことです。  

 いまでも「現代美術の…」といった展覧会は頻繁に目につきます。しかし、「現代美術」という枠組みは今日なお、本当に有効なのでしょうか。

 このことを考えるために、日本ゼロ年では「現代美術」が暗黙のうちに採用してきたいくつかの前提をリセットすることを提案します。

 一つには「現代美術」の自立性や、それを支えてきた既成の美術史、作品が発表されるコンテキストや受容層といったものをあたりまえのこととせず、あらゆるジャンルで全方位的に活動してきた(しうる)作家に焦点を当てる、ということ。

 もう一つには、ジャンル固有の歴史的発展や現代美術の純粋性を暗黙の前提としない以上、そこでは美術とデザインとサブカルチャーとを問わず、あらゆる様式はたがいに等価なものとみなされ、「様々なる意匠」として自由にサンプリングされ、リミックスされる、ということ。

 こうしたことを通じて、「戦後」とともにその射程を失いつつある「現代美術」への固執とも、冷戦崩壊以後の安易なグローバリズムへの参入とも異なる可能性を「日本」という言葉をキーに探ってみようというのが、本展のねらいです』。

 

 

(2000年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

「artscape 」 日本ゼロ年展フォト・レポート

http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/topics/9912/zero/zero.html

 

www.nitesha.com