アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「裏声で歌へ」。2017.4.8~6.18 。小山市立車屋美術館。

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「裏声で歌へ」。2017.4.8~6.18 。小山市車屋美術館。

 

2017年6月6日。

 会田誠ツイッター椹木野衣の新聞記事を見つけ、それは自分のウチでも購読している新聞だったが、夕刊はとっていないので知らないままだったが、それを読んで、「趣旨を読み解こう」といったタイトルと、考えたりするものだと知って行きたくなり、妻と相談して、ちょっと遠くて完全に半日がかりだけど、行ってもいい日を決め、あとは展示物の都合も見て、この日に決めて出かけた。

 

 本当に久しぶりに電車に1時間以上乗り続けての小さい旅。それに、降りたことのない駅に行くのは、それだけで不安と期待みたいなものがふくらむ。何もない駅。ビルがないだけで、とても空が広く、そして、新聞記事には載っていたのぼりはなくて、どこに行ったらいいかも分からないようなところ。ちょっと焦る。駅員さんに聞いたら、車屋美術館と聞いたのに、少し反応がなく、あ、博物館ね?と聞かれ、あいまいな返事をしてから、歩き始める。

 

 それでもポスターだけは見つけて、確かにちょっと変な文字の形をしていて、やや不吉な感じもしていて「裏声で歌へ」というのは、丸谷才一の小説の題名に「裏声で歌へ君が代」という本があって、話題になったのは、もう随分と前だったが、題名と、話題になったことだけは憶えていた。

 

 あとになって、ポスターのまっ赤な旗のような形は、その小説の表紙を裏側から描いたような形にもなっているし、確かに、活字もおかしいし、と思ったが、そんな不穏さは、周りののどかさみたいなものにかき消されていて、のぼりは、たぶん会期が終盤になっているので、途中で下げられてしまったのだろうし、交番に美術館を聞いたら、防弾チョッキを着たベテランの緊張感のある雰囲気の警察官に教えてもらった。聞き返すことがちょっと出来ないような気配。

 

 歩いていくと、長く経営しているような、お店の中に、唐突に、この展覧会のポスターが貼ってあると、見事に違和感はあるし、秘密の集まりのお誘いみたいな感じは、ある、そして、それはそういうことを含めて計算もしているのだろうな、と思えて、そして、田舎道の何もない畑などに囲まれた中を歩くと、そんな不穏な気配とか、現代美術という、生活の余裕みたいなものに見られたりするのだろうけど、自分自身は、介護をしていて、アート、特に現代美術といわれるような(この呼び名自体も、いろいろな論議があることは知るようにもなったが)作品が、気持ちを支えてくれてきたので、見て来たし、今回もここまで来た。

 

 今回は、キュレーターの遠藤水城という人の企画で、この展覧会を(日本シリーズ第2戦)などと名づけているから、相当な癖は間違いなくあって、だから、2時間以上をかけて、やってきて、そして、田舎道の道路に突然、昔の大きい屋敷みたいなものがあって、それが目指す美術館だった。

 

 入場料400円。

 最初の部屋には、岩石があって、そこに点滴をたらすように何かを落としていて、その音を聞かせる作品。大和田俊。

 

 次の部屋の本山ゆかりは、アクリル板に裏から色をつけているから、無造作なドローイングに見えて、そうでもないといった技を見せていて、その対面には、戦争柄着物が並んでいた。今で言えば、オリンピックのマークみたいな、中には「爆弾3勇士」という文字も見えて、そんな絵柄が露骨に描かれたものだったけど、どこかで読んだ“勝っている戦争は楽しい”ということがあるから、こうした着物の柄も、周囲からは褒められていたりもして、逆に、疑問を少しでも向けた者は、非国民の疑いあり、といった目で見られるのかもしれない、と今だと、怖さと共に思える。こんなに保存状態がいいのもすごいが、それを見つけたり、こうして展示するのもすごいというか、貴重な機会だとも思った。

 

 奥には、これから動かす準備をしている「水中エンジン」があった。この稼働のスケジュールを確認して、この時間に来た。まだ開始までは間があるが、違う展示室の作品をゆっくりと見たいから、それだと時間がなくなってしまう、などと思っていると、今、この美術館には、若い人が三人ほどいるが、おそらくは午後3時半の、水中エンジンの稼働も見に来ているはずだし、自分もそうだから、何となくそわそわしていて、その展示室へ行った。そこにはメンテナンスする人もいて、「この部屋は、稼働が終了したあともガソリンのにおいがこもって、別の作品が並んでいる展示室側のドアは、しばらく締め切りになりますので、一度、戻って、この入り口から来てくれませんか?」ということを言われ、戻って、一度脱いだクツをはいて、その入り口に行って、またクツをぬいだ。

 

 午後3時半から、これから始めます、といった静かな宣言のあとに、ガソリンらしきものを入れた。水槽は、デミアンハーストのサメが入っているような形とよく似ていて、そこに水は入っていて、その中にむきだしのエンジンがぶら下がるようにして、水の中にある。いくつものホースや線などが取り付けられ、壁には、少しずつ修正をしてきた、という証のように、紙がはられている。

 

「4月18日。オリジナルより安全のため水位を下げました」。「5月16日。テープで補修しました」。作家は、あとで知ったがエンジンを使った展示物の調整中に一酸化炭素中毒で亡くなっている、ということだったので、この稼働の前に、一酸化炭素中毒のことが書かれている紙を渡され、「もしも、警報がなったら、それは基準値としてはかなり厳しくしていますが、すみやかに避難してください」とスタッフにも言われていたはずだった。

 

 いつもは、今も道路には普通に走っている、そのクルマのエンジンだけを見ていると、不思議なもので、鉄の固まりの感じの重量感は伝わってきて、怖さもある。エンジンがかかりそうで、止まるを1、2度繰り返したあとに、エンジンはかかる。音がして、震えていて、そのうちに鉄の周りに気泡ができて、水槽が汗をかく。考えたら、水があたたまっているはずで、ただ、エンジンを水の中で動かす、というシンプルなことをするだけでも、けっこうな手間と技術と、細心の注意を払わないと、命に関わる事故が起きてしまうという怖さもあって、これは原発事故のこととも関係があるのだろうか、とも思い、あとで調べたら、製作年次を考えても、この製作の動機を見ても、間違いないらしいが、これだけで、言葉だけでは伝わりにくいこわさとか、音とか、あやうさみたいなものがかなり直接的に伝わってきている。すごい作品で、見に来てよかったと思えたりもする。しばらく動いて、濃厚なガソリンくささもふりまいたので、ここで借りたマスクを時々はずして、においもかいだ。不吉な感じがする。國府理という作家の他の作品も見たくなった。この作品は、エアコンプレッサーを導入した事で、延命しているのではないか、そして、週に1度は水をぬいている、という話も聞いた。そうした改変を加えることに、作者が亡くなっているだけに、オリジナルかどうか、という論議もあったようだが、そして、そのオリジナルを見ていないから観客として、確定的な事も言えないにしても、これは十分に作家の意図を伝えているものとなっていて、再制作した意味は十分以上にあったと思えた。

 

 そのあとは、五月女哲平。「聞こえる」という題名。地元の乙女中学の合唱コンクールを丸々撮影して、その映像を流している、という作品を見た。絵画は、ちょっとピンとこなかったが、合唱コンクールの映像は、中学生は、こんなに痛々しかったのか、こんなに不安定だったのか、成長途中はこんな感じだったのか、というのがむきだしにされているように見えた。途中で小中学の合同の合唱のシーンもあって、小学生の方が子どもとして完成し、安定して見えるくらいだった。そういえば、テーマから言ったら、特に中学生の、今も、この田舎だから余計に、いわゆる学ランをきていて、それは明らかに軍服の模倣とも言えるのだから、といった、いろいろなことを、合唱コンクールを見ながら、考えてしまっていた。そういう事を抜きでも、こういう映像があるだけで、関係者は来るだろうし、興行的にも正解なのではないか、などと余計なことまで思う。そして、思い出ノートみたいなものもある、という徹底ぶり。何か、中学1年生から3年生までの変化も見られるし、30分以上、ただ合唱コンクールの映像を見ていて、そこには、ただ肯定されるような若さだけではないが、そこにはまだ成長する命が映っていたのは間違いないから、何か自分の老いも改めて思い、ちょっと悲しくもなった。

 

 そのあと、もう一度、展示を見て回った。さっきいた観客は誰もいなくなっていて、1人で見て回った。行ってよかった。これまで知らなかった場所で、こんな展示が見られるなんて、感覚や思考の幅が、少しだけど、確実に広がったように思えた。

 

 

 

(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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