アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「MAYA MAXX のさようなら」展。2008.1.17~1.27 。岡本太郎記念館。

f:id:artaudience:20200712113649j:plain

MAYA MAXX のさようなら」展。2008.1.17~1.27 。

岡本太郎記念館

 

 2008年1月26日。

 公開制作があると知って、Geisaiの時に、描き始めた瞬間に輪郭が太くなった姿を思い出した。ただ、作品を並べるだけではなく、目の前で描いてくれるというのを知り、行こうと思って、妻に言ったら、スゴく乗り気だった。

 

 当日、記念館に着いたら、もうすぐ公開制作です。と言われた。岡本太郎の記念館はたった2度目なのに、もうなつかしかった。

 

 午後12時30分くらい、席をとって床に座っていたら、さりげなく本人があらわれた。そして、二日酔いと言いつつ、話を始めた。すぐそばにいる。手を伸ばせばさわれるところにいるのに、でも遠い感じもする。

 

 京都の何必館という美術館で展覧会をやっていて、そして、金屏風に描いた時の話。鎌倉時代に作られた金屏風に描いた、それもアクリル絵の具で、というのを聞いて、そこに描けることも、実際の写真を見せてくれて、真ん中に、空間を開けている、その見切りと思い切りに感心する。

 

 その話の中で、その絵を描き始めた瞬間。このところに、最初に点を置いた。そしたら、一気に描いた。みたいなことも語り、その最初の点のことを話す時、すごく鋭い目つきになった。さらに、金屏風の感触を話す時、初めての感触という話もして、そうした話を聞きながら、まるでサッカー選手みたいだ、と思った。それも、アルゼンチンあたりのミッドフィルダーのような。彼女にとっては、絵は試合みたいなもので、ある意味でいくらでも描けるし、そのつど違う。でも、いつも1流のプレーは出来る、というか、常に完全に全力でプレーを出来る、というようなプロな感じがした。動きみたいなものを感じたのかもしれない。そしたら、壁の絵が、試合の結果にも見えた。

 

 それから目の前で、「装苑」の取材をうけている。MAYA MAXXさんにとって絵とは?みたいな事を聞いている。そして、こういうインタビューってパフォーマンスになるのだろうか?こういう目の前に人がたくさんいる時にうまくインタビューって出来るんだろうか?とは思った。

 

その答えていく中で、私は醜悪なものを描きたくない。ということ。

 昔は能力が高い子供で、なんでもある程度できるけど、これじゃダメだ。みたいな事をあのバブル前夜に思っていたこと。

そうした話に、すごく意外な感じと、納得するような感じまであった。

 

 さらに、これから美と祈りに関わっていきたい。という言葉も、それは深いところから出てきているような言葉に思えた。こういう目先の利益に走らず、どこか遠いところを見ていられる、という事の方がおそらく気持ちがいいし、それこそが才能なのかも、と思う。

 午後2時に休憩し、その後でサインをもらった。すごく丁寧に一人一人、絵を描いてくれた。だから時間もかかったけど、その事にも感心した。

 午後3時過ぎ、私は先に帰った。義母を迎えに行かなくてはいけない。

 妻が7時過ぎに帰ってきた。

 あれから、6枚描いた、という。

 すごくよかった。ホントに自分の中の小学3年生を自由にさせてる、と感心して帰ってきた。

 

 寝る前に、また一つ、妻は話を思い出してくれた。

 マヤマックスが描いている時に、中学生がそばで見ていて、自由だねー、と言ったらしい。笑って、そして感心し、気持ちがどこか解放されるような話だと思った。

 これから、海外に行くらしい。もっと好きにやっていくために。

 それでも京都の何必館で、これから冬に10年間、展覧会をやっていくのは決まっているという。

 

 行ってよかった。自分自身は、あれだけ体調悪い感じだったけど、昼寝もしないで、夜中まで起きていて、それほど、疲れた感じもしなかった。特に若い人がたくさんいた。そういう中で妙に興奮した状態が続いているだけなのかもしれない。それでも、あの絵はよかった。そして、ホントは別に人前で話したいわけでもない、というのも本当だろうと思えた。自分のためだけじゃない人は、いいな、と素直に思えた。でも、他人事のように語っていてはダメなのも分かった。

 

(2008年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

taro-okamoto.or.jp