2018年8月26日。
誰かのツイッターで見つけたのだけど、「にほん文化センター」で検索しても、「日本文化センター」が出てきてしまい、本当にあるかどうかもちょっと疑うような場所だけど、そういうことも含めて狙っているとしたら、それもアートなのかも、と思ったりもした。
その展覧会を開催する場所が、昔自分が住んでいたアパートから、すぐ近く、それも50メートルくらいしか離れていない場所で、今だったらそばにギャラリーがあるのもうれしいのに、と思えるけど、その当時は、美術やアートに興味そのものがなかったので、あったとしてもないと一緒だったのだろうと思う。
その昔に初めて一人暮らしをした家賃5万円で風呂とトイレがついていて、とても小さな風呂があって、シャワーを浴びると、トイレットペーパーが濡れてしまうような場所で、木造の6畳で、上の階の物音が気になるようになってからは安眠出来なくなってしまったのだけど、何しろ格安物件に2年半は住んだ。
祐天寺の駅から、昔のアパートに帰る道筋を歩いた。その街は、雑貨屋や、古着屋や、なんだか入りにくそうなほどオシャレな店が増えたし、そういえば、ギャラリーも出来たし、ちょっと歩くとブルーボトルコーヒーまで出来たのだけど、その昔の道筋には、オシャレな要素がほぼなかった。少し迷いながらも歩き、そばの小学校まで来た。あれから30年がたって、今も貧乏で、圧倒的に年をとって、何をやっているのだろうという気持ちになって、さらに歩くと、アパートは鉄筋のマンションになっているのを再確認した。その裏のラーメン屋は、もうなくなっていて、道も広くなっていることも思い出す。
少し歩くと、交差点のそばに、「芸術注意」というようなのぼりがあって、異質感がある建物があって、そこがギャラリーだった。
田中偉一郎。
「美術手帖」で連載をしていて、ふざけたような印象もあるので、それだけに守りが固い人なのかな、と勝手に思ったりもしていた。
でも、周囲はアートとは無縁のような、こういう場所でギャラリーが出来て、初めての個展だし、ということで入ったら、フランクな女性があいさつをしてくれて、「ご覧になったことがありますか?」と尋ねられ、「あ、美術手帖で」と答えたら、その単行本も渡してくれて、イスも勧められて座って読んだ。
ギャラリーの中には、だるまを連ねてロボットと名づけたり、こけしを重ねて、やっぱりロボットと名づけたり、将棋の駒をくっつけて、ロボットが戦うような姿にしたり、悪ふざけといっていい作品が並んでいる。
写真は、「ストリートデストロイヤー」と名づけたものが入り口付近にはあって、それは、たとえば道路の舗装にヒビが入っているような場所に作者がこぶしをあてて、それを写真に撮る、というような作品で、ディシャン以来の系統でもあるのだろうけど、ただ思いつきを形にしているだけ、という言い方も出来る。その一方で、これだけきちんと作品を作り続けて、正面から評価されたり、ほめられたり、といったことを意識的に避け続けるのも、相当なエネルギーがいるのではと思ったりもした。
いくつも映像が流れていて、そのうちの一つが、「ストリートタイルダンサー」という名前がついていて、歩道にあるタイルでの模様を昔の遊びでいえば“けんけんぱー”をリズムカルにしながらダンスをしている、といったかなりキレのある動きで、見ていて、楽しいものでもあったのだけど、ギャラリーにいた女性は、「このダンスにちょうどいいようなタイルを見つけるがけっこう大変で、グーグルマップで都内を探しまわったんですよ」ということを教えてくれて、やっぱり準備は大変だったんだ、と思う。
これでずっとやっていくのは大変だとも思うけれど、机の上にあった、昔からのアイデアノートのふくらみがすごくて、できたら、ずっと続けてほしい、と観客としては思う。この近くのアパートに住んでいた時から、30年たって、今の自分を思うと、変わらなさ、というのは不可能ではないけど、でも、もし評価もされなくなったとしたら、制作活動を続けることに耐えられるのだろうか、とも思う。
(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。
「にほん文化センター ツイッター」
https://twitter.com/nihon_bunka_c