2001年3月31日。
いろいろあったけれど、エアボードの音で、すべてのことが薄くなってしまった。
雨が降り出し、実験をやるのかを電話で確認し、おそらくやると思います。と聞いて、出掛けた。
八谷和彦。ポストペットの制作者として有名になった。まずは、館内で話から始まる。冷静そうな目付き。分かりやすいしゃべり。カーレーサーのようなつなぎの服を着ている。これも専門家に頼み、エアボードのペイントなども専門家に依頼したらしい。現代な感じがしたが、後で本人が話したが、絵や彫刻が自分では出来ないというコンプレックスも持っていたことも、もしかしたら、関係あるのかもしれない。
美術館とは思えない熱気。取り囲む人の多さ。しばらく、展示会場で説明が続く。最初の動機は、映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の未来に出てくる主人公が乗る空を飛ぶスケートボードを作りたい、ということだと、どこかで読んだ記憶がある。エアボードは、これで3台目。アルファ、ベータ、シータ。次はガンマかと思う。周りは若い人が圧倒的。ひとりだけいた明らかに我々より年上の人は話の途中でいなくなってしまった。スターを囲む熱気は続く。
「今回は一般の方にも乗ってもらいたいんです。危険はありますが⋯⋯」という八谷の言葉があり、だから誓約書を書いてもらうという条件でも、一斉にあがる多くの手。その後で、もう少し条件がついた。スノーボードが乗れる人。それでもそれほど減らなかった。その中で熱心に手をあげていた女性は、報道関係者だったのだが、最後のじゃんけんにも勝って選ばれ、ものすごくうらやましかった。
美術館の建物の外へ出る。
天気は、雪に変わっている。
周りを囲む人々。
エアボードを囲んで、人の輪が、少しずつ小さくなる。なかなかかからないエンジン。何度も音が大きくなりそうで、炎が見えたりしたのに、かからない。ジェットエンジンを使って、人が乗っても宙に浮くボード。
今日はだめかな、とたぶんみんなが思い始めた頃、エンジンがかかった。
音がポイント、と雑誌などで読んで知っていた。頭の中でこれくらいかな、と無意識に予想し、どこかで準備していたレベルを、実際のエンジン音は、軽々と越えていく。
音が重なり、どんどん高くなり、強くなり、激しくなる。人の輪が明らかに一斉にあとずさりした。誓約書を書いた女性の背中がびびっているが、無理もない。
災害の音。不吉な音。と妻は後で言った。
でも、濁った爆音とは違って、妙に澄んだ音でもあった。
そのボードに作者である八谷は、少なくとも見た感じでは、顔色を変えずに乗り、何度もすべる。用意してあった鉄板ではなく中庭のブロックの上をすべる。あっち、こっちに行く。それほどめちゃくちゃに動いているわけでないのに、少し直線の軌道とズレ始めると、みんなが逃げるように右往左往する。もちろん、自分のそのひとりだ。確かに、災害の気配がする。
とてつもないエネルギー。コントロールできそうもない爆発的な物体。それに、表情ひとつ変えずに、何度も乗り続ける作家は、何かすごかった。そして、何往復かした後、作家が急に両腕でバツを作ったら、人が急に何人も駆け寄り、実験は終った。
雪は、まだ降っていた。傘をさして、みんなで見た。
一瞬、何も考えられなくなるような凄い音。予想以上だった。
ある意味、むだと思えるようなそのプロジェクト。
ものすごく感心したが、人には伝わりにくいことだった。理屈よりも、その音。ということかもしれない。
観客から見て偉そうな言い方になってしまうが、改めて、頭のいい作家だと思った。
(2001年の記録です。多少の加筆・修正をしています)。