アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ウインターガーデン」関連企画。2009.7.15。クロストーク 青木陵子×工藤麻紀子×松井みどり。原美術館 ザ・ホール。

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「ウインターガーデン」関連企画。2009.7.15。クロストーク 青木陵子×工藤麻紀子×松井みどり

原美術館 ザ・ホール。

 

2009年7月15日。

 午後5時40分頃に原美術館に着いた。

 まだ時間はあるし、この前、来たばっかりだったし、庭にあるピンクの古い公衆電話で電話を家にした。久々にダイアルを回す感触で、妙に気持ちがよかった。こんな風な強くも弱くもない抵抗感だった事を思い出すことも出来ないくらい久々だった。

 

 入り口を入って、入場料を払って、そのそばのテーブルの受付で名前を言って1000円を払って、ピンクの小さい四角のシールをもらって、見えるところに貼って下さい、と言われ、一応、今着ているTシャツにはった。それから、また展覧会を見た。

 

 杉戸洋の絵はよくて、今日、来てくれる工藤麻紀子の「空を飛ぶさかな」を見て、なんだかまたよくて、タカノ綾の絵って、こんなに小さいのに妙にまた見たくなる力があるよなー、と感心し、今日、もう一人の登壇者の青木陵子の作品も見て、身の回りのものを組み合わせてあるだけ、とも見えるし、ある意味、とても大胆だと思ったりした。

 

 若い女性同士が来ていて、カイカイキキ、という名前が出て、そのあとに「ミスターさん」と何度か言った。ミスターにさん付けって何だか変だけど、そう呼ぶしかないのだろう、と思った。

 

 ホールは、けっこう広く、イスが50個くらいは並んでいる。予定の6時半になって、アーティストの2人はすでにあらわれて、ホールのすみの壁際で何かを話している。午後6時40分を過ぎて、松井氏があらわれた。

 

 二人にしゃべってもらいましょう、みたいな事を松井氏が言って、そして、それぞれの作品をスクリーンにうつして、それに対して二人が、しゃべり始める。

 

 

青木陵子

 

 何を描くかというより、どう描くかが大事で。

 描いている時も、あんまり考えない感じで。

 木工ボンドをしぼり出して描いてみたり。

 

 松井氏は、いろいろな要素がぎっしりと描いてあり、それに同じモチーフが出てきて、ある意味、コンピューターみたい、と指摘をした。青木の無意識って、なんでしょう?という話にもなった。

 

 青木氏が、自然に出来たにじみみたいなものを前は嫌っていたのに、最近はそれも含めて大丈夫になった。という言い方をしていて、それを聞いて、反射的に、自分の意志以外のものが画面に残るのは許せなかったんだ、などと思った。

 

 その時々に、どう描きたいか、どのように創りたいか、に忠実だったんだ、というのは分って、でも、このスクリーンに映っている作品だけでも、もう7年も8年も前のものもあり、考えたら、最初に知ったのは2001年の横浜トリエンナーレの時だから、それからでも、もう8年もたったのだった。

 

 

次は、工藤麻紀子

 

 つたが好きで、でもうまくいかない。

 すき間をうめていく感じで、塗っているのかもしれない。

 去年、1年、調子悪くて、だから、(松井さんに)この絵が選ばれたのは不思議。塗るのは好きじゃない。塗り絵の単調さが耐えられない。そこに松井氏は、「でも、村上隆は塗り絵だと思う」と付け加える。それに対してなのかは、少し分からないが、工藤氏は、ぎゅうぎゅうにつまったように世の中が見えている、という言葉が出てくる。

 

さらに、作品が映像で映り、そこに工藤氏本人がコメントを加えていく。

 

この絵は、自転車で山梨へ行って、ネコがきれいに死んでた。少し口から血を流しているくらいで。昔、よく家の周りでもネコが死んでて、それで、かわいそうだと思うと、ついてくる、って親に言われてた。でも、この絵の時は、そういう風に思わなかった。

 

 それから、この絵。

 「AtoZ展」を友達と最初、見に行って、楽しくなくて、だから、次は一人で見に行ったら、楽しくて、この絵はその時の街路樹がすごくふわっと見えて。でも、そういう楽しい感じは出てない。

 

 青木氏が「工藤さんのべた塗りの感じが、わたしはできない」と言葉を加える。

 

 

 

質問の時間になった。

 

青木の展示についての質問への青木氏の答え。

 

 1枚で完成できないので、いろいろ使ってうめていく感じ。

 ただの布とかは自分にとってはべた塗りみたいなもので、それも含めて、1個の作品。

 

 

 工藤さんと、國方さんの作品がセットで展示してあったのは?という質問への松井氏の答え。

 

 正反対な部分はあると思うけど、思春期という事で共通しているかも、と松井氏が答えた。

 

 最後に松井氏が、全部、理屈で分ったならば作品を作る意味はない。と言った。

 

 

(2009年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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