1999年2月13日。
妻が絶賛した内藤礼の作品。確かに、ぼんやりと、ずっといたい空間。
なんでなんだろう。ふわふわとしていて、でも、たぶんここでしかないというポイントを押さえた構成。とても繊細で、でも、ここという気合いというか思いきりもあるように思える。
他には杉戸洋の細かく、ぼんやりとした絵が、おもしろく、ただ思ったよりも絵の色に鮮やかさはなかったが、何か納得するものがあった。高柳恵理のぞうきんの作品は、微妙な気持ちになり、小沢剛のコタツふとんを積み上げた感じは確実に郷愁につながり凄いと思い、これは団地暮らしを知っていると感じた。
少なくとも、全体にウソがない。
これが、日本という場所の今のリアルだと思った。
ものすごく身近だった。
この時は実家では、母が息苦しいを連発し始め、何度も医者に行き、それでも異常はありませんと言われ続け、それから妻の母もカゼをひき、ものすごく熱が出て、それでも夜中に米をとごうとするから、それを止めて、その繰り返しの中で自分もカゼをひき、それが一段落したのが、この頃だった。
後は、個人的な状況は、もう、悪い方向へ転がり続ける直前だった。
(チラシの言葉)
『「MOTアニュアル」は、開館4年目に入った当館が新たに開始するシリーズ企画で、開館記念展「日本の現代美術1985-1995」を引き継ぎ、日本、そして東京を中心とする新しい美術の動きに焦点を当て、毎年定期的に開催していくグループ展です。
第1回目となる今回は、「Modesty(=つつましさ、ひそやかさ)」をキーワードとして、「ひそやかなラディカリズム」の副題のもとに、9人の作家から構成しました。「Modesty」は、いわゆる「テーマ」として展覧会をまとめる概念ではありません。むしろそれは、現在にあって、美術作品を表現手段として選んだ何人かの作家たちが共有している一種の気質、ないしは気候のようなものとでも言うべきでしょう。
1990年代の半ばあたりから徐々に顕在化してきたこの様相は、視覚的なヴォリームの欠如や、生活に結びついた日常性などを特徴としています。そこには、先立つ1980年代に顕著であったスペクタクルとしての美術のあり方に対する反発とともに、展覧会=美術館という制度とその視覚性に対する根源的な異議申し立てをも見て取ることができます。「Modest」、つまり「つつましく」「ひそやか」であることによって「ラディカル」であるという、きわめて逆説的な新しい美術のパラダイムが、様々な位相から探究されつつあるのです。展覧会は、来るべき世紀を射程に入れて、この美術の新しい姿を捉え、提示することを試みます。」
(1999年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。