アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ピーター・ドイグ展」。2020.2.26~10.11。東京国立近代美術館。

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「ピーター・ドイグ展」。2020.2.26~10.11。

東京国立近代美術館

2020年9月29日。

 

 予約をして、この日の午後12時に予約券をとって、あれこれ払って、発券をして、そして、妻と2枚分のチケットを持って、出かける。

 

 午後12時少し前に、竹橋の美術館に着く。

 皇居が近いせいか、横断歩道のところにも警官がいて、そのホイッスルの音は、車の盗難防止の非常音に近い、機械的な音がする。

 

 入り口で、検温をして、それから消毒をして、それから展示室へ入る。

 思ったよりも人がいたこと。そして、ドイグの作品を見て、こんなに色が強かったことに、そして、絵が強いことに、少し驚く。それは、最初の絵で思ったのは、ここのところ、アートに触れる機会が圧倒的に少なくなったせいかもしれないとも感じたが、それからずっと見ていても、その印象は深まることはあっても、薄くなることはなかった。

 

 この、視覚的刺激が膨大になった21世紀に、まだ絵画の体験をさせてくれるような作品があることが意外だった。

 

 ボールペンで、こんなことを書いていたら、スタッフの人が鉛筆を持ってきてくれて、お願いします、といわれた。気がつかなかった。

 

 絵の前の滞在時間が、みんなが多いような気がする。

 注意事項が、距離と、マスクと、会話を控えて、というのがあって、そのせいもあって、観客のそれぞれが、距離をとって、確かに2メートルくらい離れていて、そして、静かなのは、いつもと一緒かもしれない。

 

 

 写真もOKで、SNS拡散を前提としての注意事項になっている。

 

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 この本で、大山顕が言っている「絶景写真」という存在と、ドイグの絵画は、見る枚数が重なるごとに、どこか似ているのではないか、という気持ちになってくる。

 

 ドイグの絵は、今見たいものと、違う世界の見たいものを、組み合わせることができなさそうなものを、全部組み合わせて、さらには、これまでの技法を惜しみなく使っていて、その上で、その絵画は、徹底的に平面的で、パソコンやスマホの画面に映っている画像のようにも見える。

 

 そして、特に、最後の展示室に並んでいた「スタジオフィルムクラブ」のための自作のポスターは、縦位置で、スマホとの相性がいい「絶景写真」(大山顕)のように見えた。

 

 実は、すごく現代そのものの絵画なのかもしれないと思った。

 

peterdoig-2020.jp