アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ポップアートー20世記の大衆芸術革命」。1998.8.15~10.5。セゾン美術館。

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ポップアートー20世記の大衆芸術革命」。1998.8.15~10.5。セゾン美術館。

 

1998年10月3日。

 

ポップアートは、ネオダダと呼ばれてもいるらしい。それだけ、その前のダダの影響や印象が強かったということかもしれない。子供の頃に見たウルトラマンにダダという怪獣がいて、よく憶えている。一種、独特の感じを持った、というのは、どこか、ただ恐いというのではない、ひねくれた気配、三面怪獣という呼び方だったが、子供にとってはダダをこねるの、ダダだったが、それは嫌な言葉ではなく、むしろ好ましい響きではあった。でも、ネオダダという言葉は美術の歴史以外では聞かれなくなった。

 

 ポップアートのイメージは何しろ、アンディ・ウォーホルで、それはマリリンモンローの顔だったりもするが、それに対して、これだけの距離がある国で距離感が少ないのは、日本のアメリカ好きというか支配が行き届いているせいもあるだろう。それに、ポップアートに対して、ああなるほど、そういう見方もできるんだ、と実感と共に見られるのは、豊かさを通過してからのことのはずだ。そういう意味でも、今の日本はポップアートを理解できる時期にきているのかもしれない。今、見ても、2年前に思った、ああ、こんなことをやられたら次の時代のアーティストは困るに違いない、という感想は変わらなかった。

 

 リチャード・ハミルトンが実物が思ったよりもよかった。アレン・ジョーンズの落下する人体がキレイだったし、アラン・ダーカンジェロの緑と形はシャープで気持ちよく、クレス・オルデンバーグは小さくても好きだし、(もっと大きい作品が見たいけど)ジェイムズ・ローゼンクイストのもっと大きい作品をもっとまとめて見たいと思った。

 

 この展覧会のチラシに、こんな言葉が並んでいた。「今一度ポップアートに目を向けると、興味深い問題がいくつも浮かび上がってきます。たとえば『純粋美術と大衆文化』、『オリジナリティと複製技術』、『個の存在とマスメディア』などなど、社会と芸術の関係、あるいは芸術の未来を考えるにあたり、非常に重要と思われる今日的な視点があまた提供されるのです」。

 

 自分が生まれた頃に、ポップアートはピークを迎え、でも今、美術好きという中年女性達は、ずっと印象派、いんしょうはと言い続けているように思う。

 

 それにしても、ポップアートがたくさん並んでいるのは、たぶん初めて見た。でも、東京都現代美術館でのウォーホール展の方が印象が強かった。やっぱり、規模の問題なんだろうか。

 

 

(1998年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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