アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「マン・レイ展」。2010.7.14~9.13。国立新美術館。

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マン・レイ展」。2010.7.14~9.13。国立新美術館

2010年8月26日。

 招待券をもらった。会期は9月中旬までだけど、その券は8月29日までと期限が限られていた。地下鉄を乗り継いで乃木坂で降りて、出口から美術館の間のわずかな距離でも太陽を直接あびると暑かった。今年の太陽は強い。

 

 マン・レイという名前はよく聞くし、写真も瞳の周りに水滴のように涙(?)がついている写真とか、女性の裸の背中にヴァイオリンのような印がついている写真とか(これは当時付き合っていたモデルのキキという人らしい)が有名で、すぐにそのイメージが浮かぶけど、そういう写真はおそらく当時は誰も撮っていないものだし、だからオリジナリティーがすごく高いものだから、今でも残っているのだろうし、と思ったが、何度も見ているせいか、どこか慣れてしまっているのかもしれない。

 

 あとは、針が底にいっぱいのアイロンとか、目の写真が貼ってあるメトロノームとか、そういう印象が強くて、というよりも、こうして作品がすぐに思い出せるのだから、やっぱりすごいことだとも思いながら、なんだかファッショナブルというか、少し遠い人みたいな感じもしていた。

 

 今回、これだけの数の作品をまとめて見るのは初めてだと思う。平日の昼間なのに、けっこう人がいて、年輩の人もいるから、マン・レイって、一種のブランドなのかもしれないという気持ちにもなった。生まれたのが1890年。若い、といわれる年になった時には、ピカソがいて、デュシャンもいた。そういう人間がいたら、自分は…と思うのだろうか。25歳で写真を始め、その方向で行きて行こうとしたのだろうか。

 

 ニューヨークからパリに渡った頃は、パリがすごい頃だったから、そこでキキというモデルと(もう結婚していたけど)恋に落ちたり、始まっていたシュルレアリスムの運動に参加したのだろうか。でも、背中のヴァイオリンも、当時、好きだった女性の写真だから、形を超えているような感じになっているような気もした。

 

 ピカソデュシャンも写真には撮っているから、社交的な部分があったのかもしれないけれど、こうして作品が並んでいると、すごくクールな印象が強くなっていく。パリにいた頃は実は岡本太郎がいた時とかぶっているのだけど、全く接点はなかったのだろうか。マン・レイはその時のアーティストなどもずいぶんと撮っていて、記録者としの意味も高いけれど、仕事としてはファッション写真を撮っていたらしいが、実はその方が本質的に向いているのではないか、などとも思えたのは、どの作品にも冷静さを感じたからだった。

 

 戦争の頃は、ロサンゼルスにいたし、戦後はハリウッドスターを撮ったらしいが、それはぱっとしなかったみたいで、だけど、その頃に56歳で20歳くらい年下のジュリエットという女性の撮影もしていて、その写真が妙に熱があって面白いと思わせるものがあった。

 

 それから、抽象業現主義でアートの中心となるアメリカを去ったのが1951年で、それからパリに向かって、でも絵は抽象表現主義の影響を受けた感じで、この人はいつも微妙に中心からはずれたところにいるのかもしれない、などと思った。クールに見えて、それはどこか寂しいところがあって、この展覧会にはやっぱり瞳に涙、とか、背中のヴァイオリンとか、があるとよかったのに、などと勝手な観客としては、思った。マン・レイという名前も、自分の本名を縮めたものらしい、と翌日知った。

 

 

(2010年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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