2001年9月22日。
関内の駅、すぐそば、いつも人が少ない印象が強い横浜市民ギャラリー。
それでも、時々おもしろい展覧会をやる場所。
今回も、トリエンナーレの時期だし、それにこの日は無料だったが、他の日は200円で、それなりに自信がある企画に違いない。
3階に上がる。
受付があって、すぐそばの部屋は薄暗く、何かごちゃごちゃと床に盛上がっている。紙テープだった。キャンディーズの解散。それを知らない作家が、その写真だけを見て、そのイメージだけで作ったらしい。キャンディーズ。「見ごろ食べごろ笑いごろ」の番組のことを、また思い出す。
その後、武智子という作家の作品。
ダッチワイフというテーマ。良く見ると、ビニール製のダッチワイフは生きた人間が着るような構造になっている。それは、展開図になっていて、商品のように綺麗にパッケージされて展示されたりしている。そのすぐそばに、ビデオで製作されたらしい映像が流れている。少し見ていたら、1人の中年男性がしゃべっていた。理想の女性像うんぬん。それも、少し複雑そうな関係そうだけど、とにかく3人の娘がいて、その中でのんちゃんと呼ばれる娘が、理想に近い、とにかく自分を殺して、相手に合わせてくれるから。といった話になる。そんなこんなで、ビデオが終った。
それから、そのダッチワイフと題された作品を見ると、もっと生々しかった。ああそうかい。じゃあ、これならいいのかよ。そんな声が聞こえてきそうだった。そのビニール製の服のようにも見える作品は、胸と股間と肩のところだけ、オープンと書いてある。
ビデオが最初に戻った。
題名が、ダッチワイフ/ダッチライフだった。
作者は、オランダに住んでいるらしい。
日常の会話のテンポで進んでいく。登場人物も、武智子本人らしい。
そして、自分の生い立ちを語る。自分の父親を知らない。生まれてすぐ、いなくなったと聞かされた。そして、育ての父も他に家庭がある。
それから、母親にいろいろと聞き、それに答える母の姿。母は強し、とか、虐げられた女、とかそんな一言でまとめさせないような話が進んでいく。
その後に実の父に会い、さらに、その1年後にオランダに留学する作者のところに、父と、初めて会う20歳の妹が一緒にやってくる。それが、のんちゃんと呼ばれる娘だが、父の着替えを手伝ったりとかが、すごく普通にやっている。考えてみれば、今では珍しい女性かもしれない。
こうやって話にすると、どこか単純なストーリーだが、でもそれが日常のリアルなリズムだけに、心に後になって、徐々に染みてくるように、何か重い気持ちになっていく。つもっていく。簡単にまとめてはいけない。
そのビデオは1時間以上かかった。でも、おもしろかった。こうやって比べるのは反則かもしれないが、この週に映画館で見た映画より、はるかにおもしろかった。予算でいえば、はるかに映画の方がかかっているのに、それはその週の日曜日の「新日曜美術館」で村上隆が言ったようにローコストなのに人を感動させるのがアート。といったことを証明するようなことだと思った。
これだけプライベートな内容なのに、そして、男性の私にまで(本当の意味でどこまで理解できたかは自信がないが)、伝わる力の強い映像で、距離感の優れた作家だと思った。
見知らぬ人に、ある時刻に窓際で立っていてくれ。それを撮影したい。と頼んで、その写真が並んでいて、それなりに面白かった。
そして、眞島竜男の作品。第3ビデオという架空のレンタルビデオショップを会場内に作り、そのビデオを貸し出すというもの。
家に帰って、見た。
退屈なんだか、よく分からない。そのうちにオカルトビデオらしいと分かると同じような映像なのに、勝手に少しどきどきした。マンガか何かで、いつも通り慣れているはずの道に急にレンタルビデオ屋が出来て、それを借りると、変な世界に引き込まれていく。といった話を思い出したせいかもしれない。実際は、え、これで終りなの?といったところで終ってしまったが、でも恐いっって何だろう?どうすれば、もっと恐くなるんだろう?と考え、もし、この映像がもっと知っているような映像ばかりが並んだら、どうだろう?とかいろいろ考えた。どっちにしろ、映像作品によってはこうやって貸し出してくれた方が有り難いことは、実はもっと多いのかもしれない。つまらなければ、早送りできるし。
そのビデオの会員証もあるし、ビデオは送り返さなければいけないけれど、でも、武智子の作品がこの中では最高によかったのだけど、帰ってから楽しむこともできたし、充実した展覧会だった。
(2001年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。