2013年1月17日。
生まれて初めて大学生の前で授業の一環として何かを語るという経験をして、何人もが寝ていて、それは自分の話のしかたに問題があるのが分かっていたから、けっこう落ち込んでいて、疲れたし帰ろうかな、とも思ったが、せっかく甲府まで来たし、もしかしたら2度と来ないかもしれないなどとも考え、マクドナルドで食事をしてから、バスに乗った。初めて行く美術館。予定は終ったあとだから、気持ちはいい。広く、いろいろな彫刻も置かれていて、美術館はこうやって無駄とも思えるようなスペースをたっぷりとった感じに建てられていると、やっぱりうれしい。
ミレーの「種まく人」は、実物を初めて見た。
描かれている人物は、体がかなりしっかりしていて、彫刻のようで、それはギリシャ彫刻のポーズをモデルにしたのではないか、みたいな気持ちにもなるほど、実は立体感がある絵だった。ただ、その人物の表情が、思った以上に、働くことの憂うつみたいなものがあったように見えた。こうやって働いていても、未来がない、というような表情をしていたのに、少し驚き、同時に新鮮だった。羊飼いを描いた作品も似た印象だった。頑丈な体にゆううつな表情。落ち穂拾いのいくつのかのバージョンの一つも見る事が出来たが、貧乏といったものも確かに伝わってきた。ミレーは、ただのロマンチックではないのだと初めて知った。
何かしら、おそらく働いている途中に空を見上げて、その時のことを忘れ、我を忘れ、という状況に一瞬なっている絵もあって、辛い時にでも、こういう時はある、という気持ちにもなれた。そういう意図の絵かどうかは分からないにしても。
作品の中で、妙に生々しく可愛らしい女性の絵があったが、それは結婚相手を描いた作品だった。それも結婚生活は3年ほどで、相手が、若いまま亡くなってしまったという事だった。
来てよかった。ミレーが、働く事の憂うつをきちんと描いていることを、恥ずかしながら初めて知った。立派な美術館だった。母親が生きている頃に、誰からか、なぜか招待券をもらって、何とか行けないだろうかと思ったことがあった。それから5年以上が確実にたっている。時間の流れ方が、ただ早いというだけでなく、その頃とは、まったく質の違う流れ方になっていることに、微妙に悲しいような、切ないような気持ちもまじる。今は、その頃と比べたら、かなり恵まれているとしても。
(2013年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。
www.art-museum.pref.yamanashi.jp