最初は、遠いし、時間もないし、母のことがあるし、ミサどのもいるし、で、あきらめていた。でも、この展覧会は行かなかったら、たぶん1生後悔すると思い、ホントに思い切って行くことにした。かなり安い航空券とホテルのセットが見つかったせいもあるが、そういうプランは直前のキャンセルが出来ないので、どちらかの母親の体調が悪くなったら、丸々お金が無駄になってしまうかもしれない、とセコイことも考えていて、少しドキドキしながら、申し込んで、その日に備えた。
義母もショートステイに預けた。その次の日に、母の病院に昼頃着き、明日は休むから、と母に告げ、早めに出て、家に一回戻って、それから羽田空港に向かう。バスの中で、妙な高揚感。初めての青森県。飛行機に乗る頃は、すっかり暗くなっていた。空港で食事をして、飛行機に乗って、そして、2時間たたないうちに青森に着いていた。寒さにスゴくびびっていて、確かに寒いが、そこから市内へのバスが1時間近くかかったのだけれど、暗い中、周りも暗くてほとんどどこへ向かうのか分からないような不安もあった。
夜になってから、弘前駅前に着いた。暗い中で、駅にかかった大きなポスター(?)の奈良美智の女の子がいる。AtoZ展。
ホテルについた。
朝、起きた時、窓の向こうに岩木山の少しうすべったい姿が、天気がよくて、かなりハッキリ見えた。青森に来た、青森が歓迎してくれている、と勝手に思った。
ホテルのそばの「ミスター.ドーナツ」で朝食。そばに座っていた女の子が少しなまっている。空気がやっぱり冷たいけど、なんだか緊張感があって、気持ちいい感じもする。ここから、バスに乗る。古い乗り合いバスみたいな形。降りて、少し歩くと、もうレンガ倉庫だった。明るい場所に見えた。
入り口で、リュックを預ける預けないで少し手間取ったり、中に入って、寒いので上着をとりに行くだけで、何だか逆行はダメと言われたり、いろいろ嫌な事もあったはずだが、何だかそれも含めて、時間がたつほど、行ってよかった、というような少し柔らかく大きめのふわふわした記憶になっているような気までする。
中に入って、あちこちが古く、小屋がたくさんあって、そして、展示が多いために、途中で、少し疲れたりもしたし、2階に上がる時に、人数制限をするくらいの危うさはあったけれど、2階には黒い海が広がっていて、すごくよかった。小屋も、板張りの床も、いろいろな要素が、そして、カフェでのお茶も、なんていうか、体全体にしみ込んだものとして、あとになるほど残っていることに気がつく。
その日は、夜はロッタという名前のカフェで食事をし、タクシーを呼んでもらって、駅まで乗った時に、過去の弘前の栄えた話と、白神山地は行かないのか?とも言われ、はははと愛想笑いをした。
2006年10月20日。青森県立美術館。
また1泊して、次の日は朝早く起きて、電車に乗った。津軽三味線の音が、駅の発車ベルになっていた。平日でいつも聞いているであろう周りの人は反応がなかったが、妻と二人で盛り上がった。そして、青森駅に着いて、バスに乗って青森県立美術館に着いた。
白いきれいな建物。
中には縄文と現代というテーマでの展示。内藤礼や岡本太郎…なんだか感心する…そして、奈良美智の常設展、さらに「あおもり犬」と名付けられた大きな彫刻はやっぱりよくて、雪の日にはその頭に雪がつもると聞いて、見てみたいと思ったし、それを語る時のスタッフの女性が、自慢とは違う、でも自然に誇らしげな感じが、すごくよかった。
今日、昼頃に飛行機に乗って、戻らなくてはいけない。今日は、母の病院に行かなくてはいけない。母の内蔵に病気が見つかってから、行かない日を、2日以上あけないようにしている。
もっとゆっくりしたい。ここで食事もしたい。と思いながら、でも、タクシーに乗って空港へ向かう。
空港に着いて、弁当を買って、機内で食べて、羽田に着いた。途中で妻と分かれ、私は母の病院へ、ほぼいつもと同じ夕方に着く。
青森に行ってきたのがウソみたいだった。
でも、行ってこれた。行ってよかった。
(2006年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。