アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

明るい絶望」中村政人 個展。中村政人 写真集出版記念プレミアムラウンジ。「25年を経て初めて語る中村政人の活動と思想」。2015.11.21。アーツ千代田3331。

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明るい絶望」中村政人 個展。中村政人 写真集出版記念プレミアムラウンジ。「25年を経て初めて語る中村政人の活動と思想」。2015.11.21。

アーツ千代田3331。

2015年11月21日。

 

 先週、個展に行ったばかりなのに、中村政人が気になり、そして、何を話すのかを直接聞きたいと思った。

 会場に着いたら、3つのテーブルがあって、なにかを食べながら、飲みながら、聞けるようになっていた。30人くらいだと思う。わたしの座ったテーブルは自分も含めて年齢層が高かった。隣の人と話すわけでもなく、そして始まってから、写真1枚1枚の話になり、80年代の末に韓国へ留学した経緯も語られた。

 

 芸大の学生の頃から個展もして発表もして、デザインの仕事もしていて、お金も入って来た。ただ、デザインの世界の、画集を何冊か持って来て、これとこれとこれを足して3つで割った感じ、ということで仕事が進んだりするのが、本当に嫌になって、韓国に行った。中村にとっては、切実さがある国だったようだ。イ・ブルという韓国の今は国際的なアーティストも一緒に活動していたようだったが、当時は逆さ吊りになり、自分の主張を叫び続け、失神するまで続ける、というような人だったが、今は成功して…と言いながらも、微妙な表情をしていた。

 

 韓国の写真をいろいろと見せてもらって、その見方の面白さや独特さは、伝わって来たような気がしたが、そうやって丁寧に話してくれた分だけ、韓国の2年間で話がほぼ終わり、東京に戻って来てからの写真は、ほぼ流すようになってしまった。それまで主に2人が質問をしたりしていたが、その二人ももう質問がなかったようなので、時間も過ぎていたが、聞きたいことを聞いた。質問の仕方が、自分でも変だ、とも思ったが、中村氏がちゃんととらえてくれた。25年前の、主に4年間をテーマにして、今個展をやる意味をこたえてくれた。

 

 日本に帰って来てから、いろいろと活動をして、地域でアートをしたり、こうしてアーツ千代田3331、という場所を作って、なんだか一周した気がした。そして、振り返れば、やはり、この昔の4年間くらいが基準になっているので、そのことをいつかやらないと、と思っていて、時間がたち、今がそうだと思って開催した。だから、ノスタルジーではなく、(意志表示みたいものですか?)そういう部分もある。(つまりは、未来に向けての宣言みたいなもので、確かに純粋さみたいなものがあって、密度も濃い感じが、確かにした)。

 

 今回の展覧会についても、やってよかったですか?というような素人丸出しの質問もしたが、誠実にこたえてくれた。クルマのボンネットのような作品もあったが、実はあの制作費は、家が一軒建つくらいの予算がかかっている。それぞれのメーカーに塗装を依頼しているから、そういうお金がかかっているが、でも、あれを自分で適当に塗ったら、それは違うと思う。だから、皆様には迷惑をかけたが…と言っていたが、それこそが、作者自身の基準からぶれない作品なんだ、となんだかすごく納得がいった。

 

 こういう人がいる、というのは、とても励みになる。すごい人で、結果を残して来たんだと思う。この人の話で振り返れば、バブルあたりの、それこそ、おいしい仕事を振り切って、留学した、ということが、さりげなく話されたけど、でも、その頃の浮かれた感じを少しでも分るので、それを振り切るのは、相当難しいことは分るから、やっぱりアートに対して純粋な人で、それで、今もそれを変えないようにして、変えてない、というのは、やっぱりすごいことだと改めて思う。

 

 

(2015年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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