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1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

あいちトリエンナーレ2019①。弓指寛治「輝けるこども」。2019.8.1~10.14。円頓寺エリア

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あいちトリエンナーレ2019①。弓指寛治「輝けるこども」。2019.8.1~10.14。円頓寺エリア

2019年10月10日。

 ホテルに着くまで迷って時間がかかって、だから、予定より(勝手な予定だけど)1時間くらいは遅くなって、初めて行く街に着いた。そこは、落ち着いていて、あちこちに、お、ここにというようなおシャレなお店もあって、手作りノートみたいな店まであって、さらには食事をとる店も、きれいで、入りたいようなところも多くあって、ただ、最初はチケットも買わなくてはいけないし、ということで、展示がある場所を、たぶん通り過ぎて、さらに、この円頓寺という感じが「えんどうじ」と呼ぶのも初めて知ったし、四間道を「しけみち」と呼ぶのも、同様だった。だけど、そういう意味では隠れた場所、という感じもあって、いい場所だと思った。

 

 ふれあい館えんどうじ という場所は、観光地にある案内所みたいな感じで、そこでフリーパスを三千円で買う。二人で六千円。それも手ぬぐい付き、というありがさ。そこに弓指氏のTシャツがあったので、迷って、そして、白いSサイズのものを買って、そこでもううれしかった。地図が小さくて、それでどこにいるのかもよくわからないのだけど、それでも、みたいところは決まっていた。弓指寛治、毒山凡太朗、キュンチュメ。歩いて、キュンチュメの作品を見に行こうとしたら、次は、6時40分です、と言われて、その予約票のようなものをもらって、さらに歩く。

 

 メゾンなごの808。人がそこにたまるようにいるのがわかる。弓指、毒山の作品がある場所。1階は、弓指の展示。入り口には、外からも見えるようなクレーン車の事故現場と思われる大きめの絵。それは、今回のテーマになっている現場。そこから銀や金ののれんのようになっているものをくぐって、これは、あとで「輝けるこども」だからなのかもしれないとも思ったが、その中にはいると、その事故で犠牲になった子供たちの絵が並んでいる。

 

 暗さとか悲惨さは、全くなく、考えたら、その事故があるまでは、当たり前のような時間を過ごしていたに違いないのだから。その後も、弓指が、鶴の絵のことを話したら、犠牲になった子供も鶴が好きで、ということを親御さんと話をして、そこからより意志の疎通ができるようになった、といったことも文章として書いてある。

 

 そして、その子供のそれまでのいろいろなエピソードを聞いて、それを絵にしていて、それは生きている時間が確かにあった、といったことを感じさせて、奥には大きい絵があって、子供達が学校に楽しそうに到着している絵だった。あとで弓指氏の説明が聞こえてきたら、この大きい絵は、事故が通学途中で起こって、だから、実現しなかったけど、実現するはずだった絵、ということだった。

 

 さらには、加害者側に関する作品もあって、その入り口には、見たくない人は見ないほうが、というような注意書きみたいなものもあって、かなり丁寧な気遣いだとも思ったが、そこには、加害者がてんかんの持病を持ち、事故のたびに「強い」クルマに乗り換えてきたことが、そのクルマの絵を並べることで表している。

 

 その場所を出て、もう一度、入り口の方に向かっていくときに、厚めの布のような、あたりのつよい平面にクルマが描かれていて、そのクルマは時代の名車があって、それは数が売られているので、それで事故も増えるというようなことを意図しているのだけど、そのクルマにぶつかるように、何枚ものれんみたいな絵をくぐり抜ける。

 

 途中で、クルマの一部を切り取り、積み上げていた場所があった。さっきは、歩行者としてそのクルマが迫ってくるように展示してあった。それが、こちら側だから、運転席からの視線にもなっている。

 

 最後のほうで、やはり、その男の子の成熟したと思われる絵が、すごくよくて、そして、トランスフォーマーが好きだったというエピソードが語られ、それは、加害者もクルマ好きでもあったのに、というような説明を弓指氏が語っていて、さらには、死んだらそれで終わり、というように思いたくない、というようなことを言っていた。

 

 自殺をテーマに作品を作ってきて、今回は、不慮の死、と言えるけれど、慰霊という意味ではずっと一貫している。それから、また子供達の絵を見ると、この角度からだと犠牲になった子供たち、という文字が左側の上に見えて、それで、また1周して、見て、出る。

 

 外へ出て、最初の事故現場の絵を見ていたら、さっきは気がつかなかった絵があった。事故現場の絵の左上に、細長く小さい絵で、ヘリが木々を巻き込むような風を起こして、飛んでいる絵のようだった。それを下から覗き込むように見ていたら、弓指氏が気がついて、外まで出てきてくれた。これは、最後に説明をしたりしなかったりする絵なのだけど、ドクターヘリの絵、ということだった。事故の時に、一人の子がこれで運ばれて、それでも亡くなってしまったのだけど、その絵を入れたかった、という話をしてくれた。この事故現場の写真などは、今も検索すればたくさんでてくる、だけど、このヘリのことは、出て来ないんです、という弓指氏の言葉に、救おうとしている図は、残らないんですね、みたいなあいまいな言葉を返してしまったが、でも、この絵に気がつけたこと。そこに作者の言葉まで聞けたこと、それは、とても豊かな経験になったと思う。すごい、という感想しか言えなかった。

 

 だけど、こういう悲劇は扱い方がとても難しいと改めて思うけれど、弓指氏は、その距離感と、丁寧さで、真正面から描いて、豊かさを感じさせている。そういう凄さは、やっぱりあると思った。人の命を大切に、ということを、本気で伝え続けようとしている人かもしれない。やっぱり、すごい。

 

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

あいちトリエンナーレ2019。弓指寛治「輝けるこども」。

https://aichitriennale2010-2019.jp/2019/artwork/S10.html

 

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