アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「横尾忠則 肖像図鑑」。2014.6.28~9.23。川崎市市民ミュージアム

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横尾忠則 肖像図鑑」。2014.6.28~9.23。

川崎市市民ミュージアム

 

2014年9月6日。

 知り合いの人から、券をいただいた。

 ただ、今、東京都内の公園でのカに刺されてデング熱、というようなニュースがあり、横浜市内の公園でもそんな事があって閉鎖されて、という情報もあって、今日行くのは確か公園の中のミュージアムだから、と虫除けを買おうという相談と、今日は車中で食事をするのではなく最寄りの駅で何か外食しようという提案をして、最近、武蔵小杉は、新しい街としてマンションがたくさん建ったりしたせいか、駅前のビルにおしゃれっぽいカフェみたいなものが出来て、下調べして車内で妻と相談したら、野菜を食べるカレーと、おぼんでこぼん、という2つが候補になり、それは前日の夜に自分も行きたいところと一致していた。

 

 駅で降りてエレベーターに乗って、ビルに着いたらその2つの店にはすでに列が出来ていた。やっぱり同じことを考えるんだ、と思ったりもしたが、別の店に行った。おしゃれな店で、おしゃれな女性たちがいたりして、久しぶりに違う世界にいるような気持ちになったあとにバスに乗る前に、虫除けをかけてから、展覧会へ向かった。土曜日なのに、人が少ない。閑散としている場所。こんなに衰退という気配が強い場所は久しぶりだった。

 

 横尾忠則。いつものタッチ。絵柄。ただ、圧倒的な数だった。様々な俳優。そして、雑誌か何かの連載のために書いた挿画という表現。そして、小説家の、それも明治以来の人達の肖像。考えたら、ウォーホールのやりかたと一緒という言い方もあるけど、ただ横尾忠則は、昔の人はおそらく写真をもとに作っているのだろうし、そんなに時間をかけている感じもしない(実際は分からないけど)けど、ただ似ていた。というよりもその中でわずかに作品を読んでいるような小説家は、その作風というか、その人物がすごく出ているような気もするが、横尾忠則のことを思い出すと、思い悩むというような時間が想像しにくいことに気がついたりもする。

 

 ただ、その人間を描き続けている感じは、おもしろくて、膨大な量が出来ていて、歴史みたいなものになっているのかもしれない。どれも同じような感じともいえるけど、いつも品質を保っている、というような言い方も出来るし、などと思って、だけど、ただよく出来ているでもなく、ただ、安心感を与えられるでもなく、家族の、特に子ども達の描き方の容赦のなさに、リヒターが家族の写真を撮ったときの、あまりにも冷たいというか距離感がありすぎる感じと似ているのかもしれない、などと思った。

 まだ現役であることの、観客としてのありがたさを、感じた。

 

 

(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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