アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「青木陵子。みどり色のポケット」。2011.12.10~2012.2.4。TAKE NINAGAWA。

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青木陵子。みどり色のポケット」。2011.12.10~2012.2.4。TAKE NINAGAWA

2012年2月2日。

 

 秋の深いあたりから、冬にかけて、あまり積極的に見たいという展覧会がなくて、それもあって、年末から1月にかけて3本の映画を見た。「エンディングノート」「ちづる」「ヒミズ」。どれも面白かった。最初の2つはドキュメンタリーで、どちらも被写体が家族、というプライベートなのだけど、当事者であることがマイナスになっていなくて、どちらかといえば、当事者だから撮れる映画になっていたと思えたが、その理由の一つは、どちらも30代より若い監督だから、撮影をするという事が特別な事でなくなっているから、それもあって、被写体が自然な姿でいられるのだろうと思うのと、当時者は客観性に欠ける、という話から、もう違うところに来ているのではないか、と思えた。

 

 そして、「ヒミズ」は、主人公の男性(10代)の、ぼこぼこにやられて叫ぶ感じとかが、真似したくなるくらいすごくよくて、今でも誰かと話したりする映画になっているが、最近、見に行った展覧会は、正月になってから行ったワタリウムの庭をテーマにしたもので、あまりがっつりと見た、という記憶はあまりない。ここのところ、妻が見たいと行っていた青木陵子の展覧会に行くことにして、もうすぐ終ってしまうぎりぎりの時に行った。

 

 初めて歩く道というのは、不安が強い。麻布十番でも、あまりなじみがないような場所の方に歩くと、住宅街の中にギャラリーがあって、地図を見ながらでないと分からない場所だった。

 

 急にあらわられたようなギャラリーの中に、絵が並んでいた。丁寧に描いているのか、ざっと描いているのか、よく分からないけど、とても好感が持てる、というある意味ではずるい絵でもあるのだけど、植物が多く描かれていて、そのわきにある絵本というか、詩というか、そういう文章は、正直ピンと来ないが、その絵が具象だったり、抽象だったり、という区別は今さら意味がないのかもしれないが、でも、どこかで見たことがあるのに、おそらくはないような、写生のような、詩のような、自分のためのような、外のためのような、そういうあれこれが入ってバラバラみたいに配置されている絵は、きれいだった。

 

 天井からぶら下げられているモビールみたいなものも、いるのかいらないのか分からないけど、たぶんなくなったら寂しい感じになるのだろう、という気はした。途中で、タクシーで乗り付けた外国人らしき人が来たが、明らかに関係者というものだったのだろう。消防自動車のホースが家の前の道路に横たわっていて、ロープがはられ、隣の家が放火で家事になったことがあって、その中にいた時、その外とは違う場所にいて、絶対に届かなくなったのかもしれない、と思った時があったが、そういう関係者を見ると、そんな気持ちになる。

 

 目黒美術館の割引券かと思ってもらったら、招待券だった。何か面白そうだったから、という動機は同じでも、知らないうちにトクをしていたが、ちょっと後ろめたいような気持ちにもなった。

 

 

(2012年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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