アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「太陽の塔1967−2018 岡本太郎が問いかけたもの」。2017.10.13~2018.2.18。岡本太郎記念館。

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太陽の塔1967−2018 岡本太郎が問いかけたもの」。2017.10.13~2018.2.18。岡本太郎記念館

2018年2月5日。

 招待券が手に入った。この展覧感が終わるまでは、自分の都合は、この日しか来られないが、記念館が、月曜日が休みではないので、ちょうど今日、来れた。表参道は相変わらず、おしゃれだったり、成功者だったりの気配が濃厚で、そう感じるのは自分のひがみが強いせいもあるのだろうけど、やっぱりいつも歩いている町とは違う人たちが歩いているのは事実だとも思う。地下鉄を降りて、階段を登って、道を歩いて、久しぶりにAtoZカフェの前を通り過ぎ、そのメニューを見て健在を確認してからさらに歩き、記念館に着く。

 

 中に入り、2階に上がって、そこには模型があって、太陽の塔の再現をしている。海洋堂が協力をしているから、きっちりとした再現をしているのだろうけど、太陽の塔の地下展示まで、どんな風な配置でどんな展示がされていたのかを、分かるように設置してある。

 

この展示は、今年の3月に太陽の塔が内部も含めて再生をして、恒久的な展示施設として生まれ変わる、ということで、実際の70年の万博の時には、その会場に行っておきながら、太陽の塔は「自分が立てた」見学コースからはずしてしまい、それは会場のどこからでも見えるから、というようなことと、あとは、未来感が少なかったことと、どこか異質で怖かったことと、やはり長時間並ぶのではないか、といった恐れがあったことなのだけど、こうした再現されたものを見るたびに、見ておけばよかった、ということを思って、あまりしない後悔を繰り返す。

 

 その次の部屋では、太陽の塔が出来る前から、出来た時までの話を新聞記事などを交えた映像が見られて、ああ、こんな流れだったのかと改めて知ったりもして、建設途中の顔は、大きいし、なんだかかっこよく見えて、同時に、この太陽の塔は、かなりの悪口を言われていたのを後で知ったが、中に入らなかったとはいえ、この塔が万博の象徴であったのは間違いないし、と思い、もう一つの映像は、万博が終わってから今までの話で、やっぱり残っていてよかったという思いになったし、岡本太郎展、生誕100年の時は、東日本大震災の直後で、この時期になったのか、といった思いだったし、あの時行けばよかった、という思いはまだあるから、再生されたのだから、一度は行きたいとも思った。

 

 一緒に見に行った妻は、とてもぐったりとしていた。確か、この前、ここに来た時も疲れていたから、相性がよくないのかもしれないが、あまりのスケールの大きさの話に当てられた、みたいなことも言っていて、そういえば、確かにでかい建造物で、高さ70メートルなんて、どうかしているとは思う。あれが、もっと低かったら、受ける印象がすごく違ってくるのは間違いないし。

 

 売店で、太陽の塔がデザインされたファイル入れ?を買う。なんだかかっこよくて、つい買ってしまった。缶バッヂは迷って、つける部分が弱そうなので、やめた。缶バッチは、カバンにつけて、何個か電車の中などで落とし、なくしてしまったので、きちんと安全ピンになっているものをなるべく買おうと思っている。

 

 妻があまりにもぐったりしているので、表参道のローソンの店内で少し一服して、それから帰って来て、私は図書館に寄って、一冊返して、一冊借りた。家に戻ったら留守番電話が入っていた。土地に関する話で、夜になって連絡がとれた。なんだか気になって夜中に昔の知っている人を検索したら、活躍されているのを知った。不思議な気持ちだった。すごく時間というより、年月がたったことを改めて分かったが、まだ、介護を始める前の自分と、今の自分がつながっていない。

 

(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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