アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「パラレル・ワールド もうひとつの世界」。2008.7.26~9.28。東京都現代美術館。

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「パラレル・ワールド もうひとつの世界」。2008.7.26~9.28。

東京都現代美術館

 

2008年9月20日。

 

 台風が来て、夜中にはずっと雨が降り、行けるかどうか分からないと思っていのに、起きたら晴れていた。最初は、舟越桂の展覧会を目黒に見に行こうと思っていたけれど、でも、どちらが見たいかといえば、パラレル・ワールドの方だったので、行ける時に見ておこうと思って、現代美術館へ出かけた。東京駅からバス。車内でパンを食べながら、時間が過ぎる。あんまり混んでいない。30分くらいでバス停に着いた。一番うしろの席に妻と座っていて、前の2人かけの席の若い女性がチケットを出したらジブリのだった。今日はジブリの展覧会もやっていて、それを見るための人達は時間で区切られて、それでも並んでいた。

 

 パラレル・ワールドは、誰も並んでいない。

 ユーグ・レブ。最初の部屋に写真を大きく引き延ばされた花や植物が書割りのように並んでいて、それだけで妙な感じが出ていて、面白いと思った。ウルトラQなど昔の特撮のぎこちない空気とよく似ていた。並んでいる作品の間に入って見ていたら、そこまでは入らないでください、と注意された。

 壁にある角度で変わる絵も、昔ガムなどのおまけについていたシールが高級化した、という感じで、それと一直線につながっているように見えた。妻は小走りしながら、その絵を見ていた。

 

 いろいろな化け物が光で白いスクリーンに映し出されながら回っている。もっと早い速度でもいいのかも、と思ったが、そういう抜けた空気は意識して出しているのかもしれない、とも思わせた。その部屋から次の部屋へ行く壁には、その同じユーグ・レブの映像作品が映し出されていて、そのゆるい特撮のリズムはちょっと好感が持てた。

 

 説明のリーフレットか何かで、このユーグがアーティストとしてだけでなく、キュレーターとしてこの展覧会を構成しているのも知った。

 

 

次の部屋には、いろいろなものがあった。

 ジャック・ジュリアンは、バスケットボールのリングなどを使っていて、なんとなく妙な立体を作っていたけど、いまひとつだった。アラン・セシャスの絵はグレーの線と面がキレイだけど、なんだかピンとこなかった。曽根裕は雪の結晶を大理石で作っていたが、もっと小さく作りこんだり、逆にもっと大胆に作ってくれた方がなどと、勝手な注文が頭に浮かんでいた。

 

 よかったのは、色をつけたはるさめで、生きている草むらみたいなものを作っていたミシェル・ブラジーと、箱の中にはくせいを入れて、それが角度によって見えたり見えなかったりするだけの、ある意味でシンプルは作品なのに、実際に見ると、その言葉よりもいろいろなものを感じ、頭のいい人なんだ、みたいな事も思った名和晃平の作品。…これは、白い薄い光がさす部屋を作っていて、その中のにおいがダメだと妻が言っていたが…。

 

 いったんはただの丸い絵が並んでいるだけと思って通り過ぎ、その後、説明を読んで墨がつまったシャボン玉を破裂させた結果だというのを知り、戻ってみたら、さっきとは違って見えた。ある意味、げんきんな感じもするが、頭や心をフルに使っている、という言い方も出来るかもしれない。

 

 私にとっては内藤礼の作品が一番よかった。

 展覧会場の中にベニヤで作られた小屋のようなスペースがある。通路という作品名。

 入り口はやや低く、かがめないと入れない。

 中は、薄暗いというより、薄明るい、という言葉が当てはまるような明るさ。中には監視員などはいない。窓らしきところから薄いレースのカーテンのような布地を通して、外が見える。

 箱のような中の両方の壁には、黒い手すりがある。

 そのせいだけでなく、全体のトーンが病院だった。ある意味ではなつかしい風景。それも、妙ないい方になるけれど、閉鎖病棟よりの空気感がある。中はほとんど何もない部屋だった。あるのは部屋のすみに流しのようなところがあって蛇口から水がずっと流れていて、その下にはガラスのビンがある。その中でガーゼのようなものが水の流れでグルグルと回り続けているけれど、ちらっと見ただけだと見落としそうだった。その部屋の向かいの壁際には、窓らしきところにカーテンのような薄い布があって、そこにガラスのビンが置かれていて、それが窓にうつっているのかと思ったら、向こう側にも置いてあったりする。そして、もう一つは壁にそうような場所にむきだしの電球が白い皿のようなところに置かれていて、その光も決して強烈ではないけれど、その皿にフィラメントの形が分かるような光量になっている。すべてが微妙な位置にある。それは繊細というより、どちらかといえば大胆ではあった。水の流れる量。回り続けるガーゼらしきものの大きさ。カーテンのような布の空調で動く量。

 そういうものだけで、全体としては妙なアンバランスさや、変なぴりぴり感が出ていて、そして、すごくいいと思った。こういう中でしばらくいて、コーヒーでも飲んでいたいと思ったくらいだった。

 

 他のものも見て、もう一度、この作品を見たら、黒い手すりがまっすぐでないのに気がついた。微妙に傾いていて、それも、少しうねっているようにも見えた。

 計算されつくした、という言い方も出来るのかもしれないけれど、そういうものだけでない感じがしたし、こういう作品を作る内藤礼の感覚みたいなものがスゴいと思った。すべてが微妙だった。でも、この微妙さを現実のものとして、こうやって目の前に作るには、いろいろな意味で強さが必要だと思った。

 

 あとはビデオで、ダニエル・ギヨネの「バグ」という作品が、普通の光景の中に変なものが自然にまぎれこんでいて、面白いと思った。映像の技術が進歩しているから、以前よりも安く、こういう作品が出来るようになっているだろうから、もしかしたら、もっと面白くてみた事もない奇妙な作品がもっと見られるかもしれない、という期待も含めて、面白いと思った。

 見てよかった。

 内藤礼はすごいと思った。

 

 

 

(2008年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.mot-art-museum.jp