2017年5月5日。
美学校という名前だけを知っていて、行ったこともなかったし、行きたいと思った事もないし、だけど、ツイッターで修了展があると知り、行きたくなったのは、この前のカウスラウンジの新芸術校の修了展がすごくよかったからで、松蔭浩之と三田村光土里といった現役のアーティストと、講師に恵まれているから、期待できるのでは、と思って、出かける。
神保町。古いビルに小さい出版社や新聞社の看板が見えたり、大きいビルには小学館が入っていたりと、どこにも行けないような、とても貧乏なのに働く時間だけは長かった短い会社勤務体験をすこし思い出させるような相変わらずの感じに、やっぱりなつかしさみたいなものを強制的に思い起こされるような気持ちになって、歩いて、迷った。あ、このクルマ、あのアーティストのー、えーと(後で遠藤一郎のものと分かり、さらにあとで、どうやら、美学校での授業のために来ていたらしいと、さらにあとで知った)と思ったら、急に探していた場所があった。
階段を登る。古い。そして、入り口。いかにも美術関係にいそうな若い人。だけど、最近は、ただ変っている、といった人や、あまりにも自己愛をこじらせている人も、一定数いるだろうけど、何とか伝えたい、といった人たちの中に、すごい人もいるのでは、と思うようになったので、なんだか好ましい感じがするのは、それだけアートの作品に触れて来たせいだとも思ったりもする。
普段は授業に使っていると思われる空間。
自分を素材に、写真や映像、それも女性のものがいくつも並ぶ。かみむらみどり。そのときわたしの心は死んだ。昔の中山ダイスケという感じだけど、その痛さは何だかよかった。同時にバッドアートというタイトルで、なんでもない、とにかく描いたというような作品を展示し、そのための美術館もあるという情報もあって、冷静さもあって、よかった。
歩いて、移動。途中で油絵を製作しているようなにおい。ごちゃごちゃと、いろいろなものが置いてある場所。自分は関係ないのだけど、こういういかにも学生、という場所が、なんだか全部が楽しそうに思えてしまい、行ってみたい気持ちにさえ、なってくる。
暗室での映像作品。作家の一日。もう貧乏くささがとても少ないことに、カルトンさんの作品を思い出す。間庭裕基。
落雷の瞬間だけの映像を、おそらくはあちこちで拾って来てつなぎあわせた作品。避雷針があったけど、その意味は、ホントに落ちたことのあるものなら意味があるけど、と思いながら、だけど、落雷の容赦のなさ、を改めて思い、やっぱり恐いんだと思う。三原回。
屋上に室内にありそうな荷物。ベッド。一人、作家らしき若い男性。話を聞いたら、自分の部屋にあるものを、屋上に並べた。最初は、小屋を作って、そこに展示しようとしたが、予算がなく、こういう形に。ベッドにはこの三日間は寝ているが、天気に恵まれて、もし雨でも決行する気だった、とわりと小さい声だったが、本気を感じて、なんだかいいな、と思えた。捨て身感が気持ちがいい。若いとき(こういう言い方は嫌うだろうけど)一度はやりたいようなことで、うらやましかった。ビルから、青い空が、特に今日はうそみたいな青さが広がっていて、それを見ながら、「起きた時、空で、なんだか健康にいいみたいなんです。気温も、これに着込むので、そんなに寒くないですし。でも、やってみて、しんどかったです。引っ越しみたいなので」と話をしてくれた。今日も、終わってから軽トラで、今度はまた部屋に運び込むそうだ。杉野晋平。
なんだか気持ちがよかった。
若さの正しい使い方、というような印象もあったが、少しうらやましくもあった。グーグルアース?に、その姿が映っていたら、また違う意味になるのだろうか。
(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。