アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展。2007.9.26~12.17。国立新美術館。

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フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展。2007.9.26~12.17。国立新美術館

 

2007年12月6日。

 

 義母のカゼで、1週間くらい前に行く予定だったが、延びた。この日も、行けるかどうか分からなかった。義母がデイサービスに行けなくなったら、もうあきらめようと思っていた。でも、なんとか治って、この日の朝は義母はデイサービス出かけられた。妻に送っていってもらった。その間に、カロリーメイトを食べて出かける準備をした。

 

 午前10時30分頃に出発。

 久々に家を二人で出られて、解放感はあったものの、電車を乗り間違えて、目黒回りで、乃木坂に着いた。

 キレイな美術館だった。ガラスが多くて明るい。今日は晴れたのでありがたい。ジャンパーを脱いだ。まだ友人は来ていない。ミュージアムショップを探しにいったら、カラシ色の着物を着ている人が、なんだか似ていて、でも違って戻ってきたら、もう来ていた。

 

 初めての美術館。

 トイレに行って、一つだけあいたロッカールームにコートなどを入れて、入り口へ向かったら、入り口のサインが分かりにくいと、友人が言った。確かにその通りだった。

 

 そして、中へ。

 人が2列にも3列にも列を作って、小さい絵が多い会場は人がいっぱいだった。これでも、大変混雑しています。ではないようだ。

 こちらへ向かって、演技しているような登場人物。絵としては、意味みたいなものがあって、それで埋め尽くされているような気までして、あまり面白くはなかった。

 

 フェルメールの絵は、そのスペースに一枚だけあって、ライトを浴びていた。前の列は立ち止まらない列。その後ろは、立ち止まってもいい列。

 止まらないでください。

 という声がまた響く場所。レオナルド・ダヴィンチの時以来。

 絵を、でも、見た。

 思ったよりキレイだった。

 ただ、見る前に思っていたように、覗くという行為を形にしたように感じた。それは、人が無意識の姿を美しいと思う強さ。つまり、人が人の目を意識しない時を見たい、という欲望の強さが、この絵に力を与えている感じは、やっぱりした。エロチックな場面ではないけれど、でも、それに通じる感じがする。

 

 それについては、私より美術に詳しい友人にある程度、同意してもらった。さらに、それは、男目線ということだから。この絵に欲情する、と書いた、作家もいるらしい。

 

 この女性の腕の筋肉が太すぎる、みたいな話になり、でも、この筋肉のつき方は、指先の繊細さを持つようなプロのピッチャーのようにも見える、といったら、さっきの勢いが残っているせいか、友人が、同意してくれた。

 

 最後に「牛乳を注ぐ女」を見に行った。

 この絵はやっぱりキレイだった。そして、この絵は近代というか、現代につながっているかもと思った。どうして教訓も意味もない絵を描いたのか?というような疑問はあるけれど、何しろ、人の無意識を描きたい、という欲望みたいなものが強かったのかもしれない。と改めて思った。

 

 レンブラントの版画も2点だけあって、それは友人が言ってくれないと見逃すようなところだったが、女性の二の腕のたるみみたいなものが、見事に正確に出ていて、そのエロさではなく、形というか、存在をあらわそうとしているのにも感心したりした。

 

 見てよかった。

 

 そこから表参道の「AtoZ カフェ」へ行った。デザートも食べて、満足だった。ホントはもっとゆっくりしたかったが、迎えに行かなくてはいけない。午後2時30分過ぎには、カフェを出た。

 でも、久しぶりで楽しかった。夕方には義母も無事に帰ってきて、よかった。

 

 

(2007年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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