アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「My県展」。会田誠。2003.12.20。ミヅマアートギャラリー。

2003年12月20日。

 会田誠の展覧会。

 先週は、奈良美智の個展を見にいこうと思っていて、行けなかった。

 会田誠の展覧会のことは、六本木ヒルズの本屋で買った「美術手帳」2004年1月号で読んで、やっぱり行きたいと思って、少し早起きして出かけた。

 

 最終日のせいか結構、人がいた。

 短い時間で描いたという「みんなといっしょ」シリーズ。それは、小沢剛に「まだこんなことやってんの」と言われて軽いケンカになった(「美術手帖」参照)らしく、そのことは笑えることでもあるのだが、だけど、その絵は雑誌の写真などで見るよりも、線のタッチが当たり前だが生きていて、そして、うまいなと思わせるものがあった。ピカソの写真をテーマにした展覧会を見た時に、ピカソのとっては便所の落書きに近いものに違いないのに、こんな風に立派に飾られて変なの、だけど、その線はうまかった。下手に描けないつらさみたいなものまで感じたのは、うがった見方かもしれないが、会田のこの絵にもそんな印象が残ったのだった。

 

 じょうもんしきかいじょうのうんこ。

 これは、思い付きをすぐに形にするという会田のパターンではないか?と思えた。その記録のビデオが、作業風景が早送りになっていて、そして、モーニング娘の曲がかぶさっていて、退屈が少なかった。こういう工夫はいると思ったが、だけど、テレビのバラエティーとの違いは、早送りにしないことにだけあるかもしれないので、なかなか出来ないことかもしれなかった。

 

 人がけっこういた。

 1階のブティックに、大山椒魚と名付けられたでかい絵があった。相変わらず、端正な絵だった。そして、その女の子は、やっぱり可愛かった。

 こういう、その時の会田が、きれいとか可愛いとか魅力的と思う女の子の絵は、ずっと描き続けていってほしい。と思った。

 椹木野衣が、美術手帳に、いろいろと書いていたが、そういうことから、逃れようとする会田の姿も同時に浮んだ。

 

 妄想や願望をそのまま絵にする貴重さ、はやっぱりあると思う。

 だけど、「みんなといっしょ」シリーズも、思ったより大きい紙(B1よりはでかい)とはいえ、ものすごく早く仕上げた感じはあって、それでも1枚18万円とかで売っていて、それがかなり売れているのだから、こちらが思うよりも、さらにビッグな存在なのかもしれない。そういう風ないわれ方を、また本人は嫌がりそうのだけれど。

 

「みんなといっしょ」シリーズで、女性が歩いていて、股間のところだけ、ハダカになっていて、「濃い薄いの差はあるけど、みんなはえているんだなー」みたいな作品が、かなり共感もできた。これは、でもエロチックな心とは微妙に違うものであることまで、よく出ていたと思う。

 行ってよかった。

 

 

 

(2003年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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