アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「新・今日の作家展2017。キオクのかたち/キロクのかたち」。2017.9.22~10.9。横浜市民ギャラリー。

f:id:artaudience:20211020102753j:plain

「新・今日の作家展2017。キオクのかたち/キロクのかたち」。2017.9.22~10.9。横浜市民ギャラリー。

2017年9月28日。

 以前は、確か関内駅のそばの古いビルの一室でやっていたような記憶がある。その時に何回か行く機会があり、その中には自分が見ていないが村上隆がほめていた企画展があって、そのカタログを取り寄せたこともあった。無料で、さらにはトークショーまであって、それを介護が始まったばかりの頃に見に行って、変にテンションが高くなって帰って来たこともあった。さらに、最近は、この横浜市民ギャラリーは、あざみ野という緑園都市という、一種、これからの横浜みたいな沿線に出来て、そこに行く機会のほうが増えていたのだけど、今回の横浜市民ギャラリーはもしかしたら初めて行く場所で、ボランティアの帰りに寄ろうと思ったのは、このテーマのためだった。

 

 人の話を聞いて、それを作品化している作家がいて、テーマが記憶だったり、記録だったりと知って、考えたら、そういうことをもう随分と昔に毎日考えて仕事をしていた時があった。どうすれば事実を伝えられるか。それも読んで面白いものに出来るかどうか。ウソではないけど、面白くするために盛った話は必要みたいなことが平然と語られていて、そうではなくて本当のことだけでも魅力的な文章は書けるのではないか、といったことをずっと思って来て、仕事の時はある程度は実現できたと思って着たのだけど、それは15年くらいの試みのあと、ほぼ成果も上げられないまま、仕事をやめることになったのが10年以上前なのに、そんなことに今もひっかかりがあるのは、変というか、どこか悲しいことでもあるのだろうけど、ずっとアートは好きで見て来て、それがこの18年の介護生活を支えて来たのも事実で、ただ、記録や記憶に関しては、また書きたいという気持ちが底に流れている気もしていて、だから、見る意味がすこし変って来たとも思う。

 

 桜木町で降りて、一番選ばなそうな道を歩く。壁は、かつては落書きがあって、色があったが、今は何もなくて、灰色の壁がただ続く。そこから、坂道を登って、ケアプラザを横に見て、さらに急になった坂を上がって行く。地図によると、もっと文化的な施設がいくつもあるような、山の上でも意味がある場所のはずなのに、夕方から夜にかかって暗くなっている気配もあって、さらに思ったよりも立派な神社の鳥居があるので、ふわっと異質な空気まであって、その向いにギャラリーがあった。駅から10分という表示だったけど、もっと時間がかったような気分。

 

 入り口や、中にはスタッフがいて、観客よりも多くの人がそこにいて、管理はちゃんとしているのが分かった。最初は、広島出身で、広島の平和公園で撮影をしている笹岡啓子。当事者性が強く言われすぎるようになっている潮流があって、当然だけど、当事者しか見えない、分からないものも当たり前にあるが、当事者だから見えない、分からないものもあって、問題は、そのバランスが、これまでは当事者の声が聞かれなさすぎただけなので、両方が語られないと、偏るとは思っていて、その写真家が広島出身であることが、意味はあるけど、それがこの撮影する「許可」みたいになってしまったら、いろいろな広がりを止めてしまうことになる、等とも思った。広島平和公園には、原爆記念館があって、そして、記録のための写真や物があり、それを見る人達を、また撮影するという二重の記録になるんだ、と思ったりもしたが、記録しないと、なかったことにされてしまうから、写真で撮影しておく、というのは、これからも重要なことだと思う。

 

 それ以外は地下1階の展示。

 その中で一番気になっていたし、長く鑑賞したのが小森はるか+瀬尾夏美の作品。2012年より、陸前高田、2015年から仙台に住んで、現地を中心にインタビューを行なって作品を作っている。小森は映像。瀬尾は絵画。今からさらに10年以上がたち、その土地が全部うめられて、津波の被害にあった土地はうまっている、という前提のフィクションを、おそらく現地の人達が、その現地で朗読している映像。なぜフィクション?といった気持ちにもなるが、でも、それを読む人々の表情やたたずまいや、そして、意図せず映っているであろう、その周辺の様子は、貴重な記録にもなっている。瀬尾の絵画は、おそらくは現実よりも鮮やかな色が使われている絵画。だけど、それは復興の途中のなくなってしまうような光景のように思えたし、壁には2011年から2017年までの言葉が並んでいる。うめている様子に対して、大きなお墓みたいだから、といった言葉もある。

 記録しないとなくなることばかりで、忘れられそうなことばかりだと思った。

 帰りは送迎バスで駅まで戻った。

 

 

 

(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

amzn.to