アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「境界を跨ぐと、」。2017.6.25~7.6。東京都美術館 ギャラリーC。

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「境界を跨ぐと、」。2017.6.25~7.6。
東京都美術館 ギャラリーC。

 

2017年6月30日。(会田誠とのトークショーもあり)。

 美術手帖かなにかを読んで知ったのが、武蔵野美術大学朝鮮大学校が隣にあって、その塀をまたぐような作品を作って、つなげた、といった内容で、それは、すごいことではないかと思っていて、ただ、ちょっと遠くて、と思って行けないままだった。

 

 東京都美術館という場所で、企画展とは別に公募をしてグループ展をやっているのを、実はもうかなり行なっているらしいのを、最近になって知った。できたら妻と行きたいと思っていたのだけど、妻は仕事だったり、体調が不調だったりして、しかたがないので、行くのをやめようと考えていたのだけど、会田誠トークショーをやる、という情報があって、それはとてもささやかな拡散で、本当にやるのだろうか、といったことを感じていたのだけど、主催者にメールを送ったら丁寧な返信が来て、予約もなしで大丈夫ということを知ったので、妻と相談をして、私だけ行くことにした。

 

 午後6時からのトークショーに向けて、午後5時半頃には着きたかったのだけど、少し遅くなって、午後5時40分くらいに着いた。企画展は盛況で、入場券を買えるまで10分かかって、会場が混んでいる、という表示を通り過ぎて、案内に聞いたたら、奥の自動ドアの向こうにあります、と言われたのだけど、既にその入り口には入れないような事を始めていたが、それが間違いらしく、また開けている、という作業の中で入っていった。ギャラリーは3つあったが、トークショーのあるギャラリーだけを集中して見ようと思った。

 

 5人の作家。

 メールを送ってくれたのが作家のひとりで、本当に自分達でやっているんだ、と思ったが、最初にサラッと見たら、よく分からないものが多かった。ただ、橋でつないだあと、それによって、それぞれの作家の中にいろいろな変化があって、それが広がって深まった結果なのかもしれない、と思ったりしたのは、もしかしたら、その橋でつないだという展示がなかったら、今回につながらなかっただろうな、というような気持ちにはなって、民族のことが明らかにテーマになっているもの(鄭梨愛)や、歴史そのものの感じ方(土屋美智子)、というか時間への感覚に迫ったインタビューがあったり、そのインタビューは、今回の一緒に展覧会をやった作家たちなど、よく知っている人へのインタビューだったりして、それは一部しか見ていないのだけど、すごく興味深いものだった。李晶玉の絵は、技術が高いという印象と、不思議なちぐはぐ感もあって、それは意識的なのだと思ったが、こうした作品があると、展覧会の質が変る気もする。

 

 トークショーはギャラリーの中にイスを並べて始まった。

 その話は、会田誠は司会みたいな立場に意識して立っていて、そういう中で、率直というか、本当に純粋というか、その作家の中でファミレスの中で話をしていて、もめたとか、李が、それまでは在日朝鮮人のコミュニティーの中で生きてきて、在日というような言葉さえ意識せずに生きて来て、こうした交流の中で、そのことを意識し、そして、日本人の作家の言葉を、“それはマジョリティーの意見だよね”という言葉を投げ掛け、それを元に投げ掛けられた方も、自分の意見を言って、「バト」ってた、というような状況だったらしいから、すごく健全だと思った。

 

 そんな話や、市川明子だけは、境界を、自分の夢と現実の境界のことをテーマに意識的にしていたり、灰原千晶は、さざれ石をテーマにそれを写真にして、またそれを立体にした、みたいな作品にしていたり、それぞれが、影響の中で自分を変えていき、そして作品に影響していたり、ということなのか、とも思った。 

 

 今の時代に、日本の作家と、いわゆる在日朝鮮人の作家がグループ展をやるのは、やっぱり想像以上に大変かもしれないけれど、意義があることをやっていけるのは、すごいと改めて思った。

 

 

(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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