アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

中村一美個展。2014.9,5~10.2。カイカイキキギャラリー。

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中村一美個展。2014.9,5~10.2。カイカイキキギャラリー。

2014年9月19日。トークショー

 ここのところ意欲的なトークショーが多く、しかもそこへの希望者が多く、こちらとしては残念ながら29歳以下という制限もあって、行けないときも多いが、今回は年齢制限関係がないトークショーで、しかも仕事の合間なのでありがたく出掛けさせてもらおうと思った。

 

 写真美術館へ行ったあと、そこから広尾の有栖川公園のわきの少しゆるやかに大きく曲がった坂道をのばると、ゲイサイ大学で月に1度くらいの割合で来たり、時々、このギャラリーでのイベントや展覧会にも行くので、微妙になじみがあって、少しの安心感もあるような気がする。本来ならば、こういうおしゃれな場所と自分とは関係がないまま生きて来たのに、切羽詰まったときに、アートが必要で、アートに支えられた、という経験があってから、身近とはいわなくても、こちらからでかけていくようにはなった。

 

 そして、今日は、中村一美という、それまで知らなかったけれど、今、60手前くらいの年齢で、1980年代に脚光をあび、抽象的な表現をしていて、それから、30年がたって、今もその抽象表現を続け、しかも、今の時代でも届くような、そんな表現を続けている、というような事を、国立新美術館の展示で知り、それは村上隆の言葉で知って、今回、カイカイキキギャラリーで行なわれるので、行こうと思った。

 

 吉竹美香さんというアメリカのキュレーターの女性。ゲイサイのときも審査員として丁寧に作品を見ていた人だった。そして、もの派の展覧会を企画して、その もの派の再評価を実現した人という事だった。

 

 とても厳密な会話だったと思う。トーンも熱意もリズムも変わらないため、途中で眠くなったりもした。ただ、とても重要なことを話し合っているようにも見えた。本当に変わらず、評価とは別に、絵画とは何か?人間が絵画を描くとはどういうことか?そんな事まで突き詰めていたようにも思えてくる。今、しゃべっているけれど、こういう場所で話せるようになるまで、再び光りが当たるまで30年がたっていて、それでも絵は、どれも強い絵だった。

 

 その中でも大事というか、ふっと心に届いてくる言葉があった。

 

 …個展をやるときに、一つは異質なものを入れたい。はっきりとは分からないけど、開かれたものにしたいのかな、長くやっている人は、オープンなシステムでやっている。

 …存在の島、なども社会的な状況が入っている。ただ、分かりづらいけど、それでもいいと思う。

 …抽象絵画というのは、社会状況にノーというものでもあったと思う。抽象絵画がすたれたのは、ソ連がなくなったから。抽象絵画が復活するとすれば、搾取とか格差とか、そういう事に異議申し立てをするため、という事だと思う。

(これがソーシャルセマスティックと言われているらしい)

……意味を入れて、記号を作って、それが何十年後からに分かれば、というようなことを考えている。洛中洛外図みたいにパッと見て分かる。だけど、細部にいろいろあって、ゆっくり見ることも出来る。それが醍醐味(自分の絵もそのようにしているらしい)。

 

 質問のコーナー。

 Q 強く見えた。写真などで見ると。ただ、実際には質感というか柔らかさみたいなものを感じましたが…。

 

 中村 わざと弱い絵というのはある。長谷川等伯というような。この20年くらい、モダニズムの反発からか、リュックタイマンスのようにわざと弱くしていて、それを真に受けて、みんながやりだした。それをやりすぎている。もっと普通に強く描けばいいのに、(かなり反発心がふわっと出て、熱意みたいなものも伝わって来た)。

 

 Q 数すごいですけど

 

中村 同時に多くを描いている。今回の作品も約1ヶ月で描いている(ここで驚く)

 

 Q 海外での発表は?

 

中村 長谷川等伯の時代は、いろいろな描き方を出来ないと絵師ではなかった、というような説明だけは加えた。

 

 理屈を積み上げて、そして、時々噴き出す、というような凄さ。

 この30年間の過ごし方が、少しだけ垣間見えたような気がした。すごくぶれずにやってきたことが、やっと評価された、という事かもしれないが、出来ることではない。

 すごみが少しだけ、見えて来た。

 

 

(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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