2008年5月31日。
朝から雨で、気温15度。もう6月なのに、セーターを着ていこうとしたくらい寒い。部屋の中でウールを着ていて、少し動いたら、さすがに暑さのバリアみたいなものですぐに体がおおわれたので、木綿のセーターに変えたけど。
10時前にコンピューターをチェックしてメールも来ていないし、義母は無事にセンターへ行けた。一緒に行くはずだった友人から電話があって、今日は調子が悪くて行けない、ということだった。妻と二人で出かけた。
東京駅に着いたら、駅のさらに地下に一つの街みたいなところが出来ていた。エスカレーターで下って、3メートルくらい平たくなって、最後にまたちょっと下がるような作りだったし、妙に秘密の場所みたいな気配があるように感じたのは、おそらく、あの通路の下にこんなにスペースがあったなんて、という驚きの方が大きかったように思う。東京駅のあそこの下に、と、思ったよりも体で、その位置みたいなものを憶えていたのかもしれない。そこで、パンを買った。かなり高かったけど、もう1軒の方がさらに高かった。サンドしたパンで400円以上。リゾット専門の店があって、そこで食べていこうかと思ったけれど、900円くらいから1300円くらいだったので高いと思って、やめた。バスに乗って、パンを食べた。ちょっと食べにくかったけど、ものすごく歯ごたえがあって、ずっしりしておいしかった。乗る前にコーヒーが飲みたくて、バス停のそばの「オアゾ」というビルの中のコーヒーを買ったら、テイクアウトで400円した。このへんは物価が高い。
東京都現代美術館。入り口のところの看板も、なんだか地味だった。
最初にオスカール展に入る。最初の部屋から、なつかしい路地のような世界がバーンとあって、引き込まれるような気がした。古くさいような、なつかしいような、下手なような、うまいような、ただ、どこかに覚悟みたいなものがあるようにも思える。
20年以上前は、バナナの形の絵だったり、20メートルくらいの骨と潜水艦の絵があったり、ハチ公のレントゲンみたいな、解説を読んで初めて知ったのだけど、あんまり四角い絵を描いていなかったらしい。
私が知るようになったのは、リーフレットでは⑥のエイジアンドラゴン、という作品あたりからだった。いろいろな絵も、下町も、うちの近所みたいで、そして、ガーデニングというマンハッタンの絵は、キレイだけど、チラシなどのイメージよりもはるかに強い絵で、すごみみたいなものをプラスしているようにも思えた。
この人の絵は、どれも微妙に不吉で、微妙に貧乏くささがあって、そして、絵画というよりはマンガの進化系というか、その延長線にあるように思える。古くさいような感じもしていて。
戦争や戦災や原爆などを描きこむ事にもちゅうちょみたいなものがないように思える。
しぶとさ、みたいなもの。
2階でドキュメンタリー映像をみて、ニューヨークに移り住んでからの顔を見て、言葉を聞くと、やはり覚悟みたいなものがあったし、周りでスープに水を入れたような薄い絵が多いけど、自分はそうしない、と言っているし、絵という時間のかかるものを、毎日の地味な作業しか完成に向かえないものを選んで、そして、それをやり続けていく、という事を言っていたし、それがいい意味で作品に出ているような気がする。成熟に意味がない。絵を描くだけでは意味がない。などと言われるような部分があるような気もするけど、そういう事に黙って10年かけて絵を描き続けて答えを出していくようなタイプに見えた。なんだか、すごい。南米のサッカー選手の窮地に追い込まれてから強さを発揮して一人でも個人技で何とかしていく、みたいな土のにおいというか、泥臭い感じが、この人にもあるのかもしれない。なにしろ、強さみたいなものがあると思った。
大きい絵で、見ていて、でも、不思議な気持ちになる。
マンガのような、アニメのような、でも、それとは違うような。
そして、政治的な絵として見られることも恐れない、というような。
来てよかった。思ったよりよかった。と妻も言っていた。
ビデオを見て、本郷台に木をかたどった薄い立体を作っていたり、大泉学園に小さなスペースを作り、そこに草を自然に生えている、みたいな作品を作っているのも初めて知った。時間のスタンスが長い作り方だと思った。時間がたつほど、作品が面白くなってくるような気がした。蓄積、というものに対する姿勢が絵にも出ているのかもしれない。
(2009年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。