アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

平野杏子展。2007.11.10~2008.1.20。平塚市美術館。

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平野杏子展。2007.11.10~2008.1.20。平塚市美術館。

2007年11月25日。

 

 J2リーグ。湘南ベルマーレの今季ホーム最終試合を見にいった。まだ午後3時半。歩いていって、途中に平塚美術館に寄る。自分にとって、あまり面白そうな絵ではなかった。まじめな仏像画に見えた。迷って、でも、考えたら、母親と最後の外出したのが、今年の3月でここだった。花見に行こうと思って、さくらが咲いてないので、ここに来たのだった。あの頃は、元気とはいえなくても、ここの喫茶店でダンゴやお菓子を食べていたのだった。母は5月に亡くなった。まだ1年もたっていない。そして、この美術館には何度も来た。病院から、タクシーで来やすい距離だったからだ。最初の外出もここだった。弟と一緒に来たのもここだった。何回来ただろう。そして、ここの喫茶店で何度かお茶をした。そして、つい最近までこの喫茶店にはベルマーレの時代の中田の写真があった。いろんなことを思った。

 

 とりあえず、見てみようと思った。3月から、初めてだった。

 最初は、まじめな、印象派風の、でも健康的な絵だった。作者の平野杏子は、1930年生まれ。そのうちに、仏像の感じになって、ちょっとアウトサイダーアート的な、諸星大二郎みたいな作風になってきて、おもしろいと思った。若くして母親を亡くし、結婚して子供も出来たけれど、育児とか作品のことで病気になり、その頃に仏教に興味を持った、とプロフィールにはあったが、それだけでない安定とは違う、妙な不安定さがあって、それが面白いと思ってしまったのだった。

 

 それから、仏像を描いて、これが入り口にあった。それから、今度は卵の形をくっきりとシルクスクリーンで表現したり、それから、夫も2年前に亡くし、その前に父親は亡くしていた。その頃、ポップアートっぽいシルクスクリーンを使った感じになっていて、その変化みたいなものも含めて、興味深かった。時々、女流日本画家といわれる人達は、晩年になるほど、日本画という枠が必要か?みたいな思い切りがよくなったりする人がいるような気がするのだけれど、この人もそうなのか?と思った。今、77歳で、そして、今年の作品もあったから、また変化するのかもしれない。まだ立派に現役だった。

 

(2007年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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