アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「横浜への道」。タニシK。2001.10.21。東横線車内。横浜トリエンナーレ2001。

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「横浜への道」。タニシK。2001.10.21。東横線車内。
横浜トリエンナーレ2001。

2001年10月21日。

 

 この日は、社会人アメリカンフットボールで、レナウンの試合を見た。大敗してしまい、一言も口をきくことなく、等々力の野球場を出て、バスに乗り、武蔵小杉の駅に着き、そして母の病院へ向かう。

 

 各駅も来たが、菊名で急行に抜かれると知り、その急行に乗る。

 少したつと、連結の部分から人が来る。

 変な格好をした人が、だんだん近付いてくる。

 売り子?

 でも、こういう車内でやっているのを聞いたことがない。

 しばらく見ていると、いわゆるパフォーマンスのようだった。

 

 ものすごく馴れ馴れしい態度。

 聴診器まで出している。

 げ。

 こっちにくる。

 どきどき。勝手にどきどき。

 

 ものすごく不愛想になっていたと思う。気がついたら、ほとんど慢性的に表情が固くなっていたように思う。この2年間の間。

 目があった。

 相手は明らか奥の方は怯えた目をしていた。

 まあ、そうだろうと思った。不愛想なオッさんだから。

 カゴというかワゴンの中には本人が作ったという作品がある。でも中途半端に無気味で、あんまりよくないと思ってしまった。

 

 これ、つくったんですか?

 はい。

 おつかれさまでした。

 相手は苦笑している。

 こういう下らなくて、おもしろくない会話しかできなかった。

 後悔した。

 もっといろいろ聞けたんじゃないか。

 

 そしてインタビュー力といっていいものが落ちている気もした。

 ものすごく、自分が思っている以上に、現在の自分は、ただの暗い人間になっているんではないか、と怯えていた。2年前から介護を始め、仕事も辞めていた。

 ただ、この前、この東横線でトルシェ監督に会った時くらい、嬉しかった。何か、世の中から見捨てられてないような気持ちにもなった。

 もらった紙に書いてあることには、すごく共感できた。

 でも聴診器はないんじゃないか。とも思った。

 

 携帯番号と、メールアドレスも掲載してあった。

 

(2001年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

横浜トリエンナーレ2001年」(タニシK)

https://www.yokohamatriennale.jp/archive/artist/t/artist101/

 

www.gei-shin.co.jp

 

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