2001年10月21日。
この日は、社会人アメリカンフットボールで、レナウンの試合を見た。大敗してしまい、一言も口をきくことなく、等々力の野球場を出て、バスに乗り、武蔵小杉の駅に着き、そして母の病院へ向かう。
各駅も来たが、菊名で急行に抜かれると知り、その急行に乗る。
少したつと、連結の部分から人が来る。
変な格好をした人が、だんだん近付いてくる。
売り子?
でも、こういう車内でやっているのを聞いたことがない。
しばらく見ていると、いわゆるパフォーマンスのようだった。
ものすごく馴れ馴れしい態度。
聴診器まで出している。
げ。
こっちにくる。
どきどき。勝手にどきどき。
ものすごく不愛想になっていたと思う。気がついたら、ほとんど慢性的に表情が固くなっていたように思う。この2年間の間。
目があった。
相手は明らか奥の方は怯えた目をしていた。
まあ、そうだろうと思った。不愛想なオッさんだから。
カゴというかワゴンの中には本人が作ったという作品がある。でも中途半端に無気味で、あんまりよくないと思ってしまった。
これ、つくったんですか?
はい。
おつかれさまでした。
相手は苦笑している。
こういう下らなくて、おもしろくない会話しかできなかった。
後悔した。
もっといろいろ聞けたんじゃないか。
そしてインタビュー力といっていいものが落ちている気もした。
ものすごく、自分が思っている以上に、現在の自分は、ただの暗い人間になっているんではないか、と怯えていた。2年前から介護を始め、仕事も辞めていた。
ただ、この前、この東横線でトルシェ監督に会った時くらい、嬉しかった。何か、世の中から見捨てられてないような気持ちにもなった。
もらった紙に書いてあることには、すごく共感できた。
でも聴診器はないんじゃないか。とも思った。
携帯番号と、メールアドレスも掲載してあった。
(2001年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。
「横浜トリエンナーレ2001年」(タニシK)
https://www.yokohamatriennale.jp/archive/artist/t/artist101/