アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

安田靫彦展。2002.2.9~3.24。平塚市美術館。

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安田靫彦展。2002.2.9~3.24。平塚市美術館。

2002年3月15日。

 母と一緒に行った。

 前から行こう、行こうと思っていて、やっと行けた。

 入院してから1年と半年。やっとこちらの余裕が出来てきたということだろう。それに入院費用の減額措置が、やっぱり物凄く精神的なゆとりを生んでくれている。この前まで道ばたで、死体のようにばったりと倒れている自分の姿がイメージできるくらいに、今までは死んだようにぐったりとしている日々だった。

 

 病院からタクシーで約30分。料金は3000円。

 また来た。

 そういえばここの「トウキョウポップ」から、自分の中での美術史は始まっているから、感謝しているし、母が病気の後、最初に来たのもここだった。そして、また来ている。

 

「立派ねー」。

 母は感心している。

 そして、日本画家の安田靫彦。申し訳ないのだけど、私は知らなかったが、母の方が知っていた。見て回る。かなりの人。平日なのに、たくさんいる。1階からエレベーターに乗ろうとしたら、1回は階段で登ろうとして、その段の多さに挫折し、一緒に乗ってきたおばちゃんの3人づれ。たぶん、こうった人達で大分部分が占められていそうなその建物。

 

 歴史画というジャンル。

 聖徳太子も他の人も、ほとんど同じ目付きをしている。卑弥呼が妙に綺麗に、でもそれまでと同じに描かれている。よく出来た、教科書に載っていそうなイラスト。そうとしか思えないのに、そして、卑弥呼なども「こんなに端整なわけはないのでは」などと思ったが、何だか妙なメルヘンな匂いも強い。

 

 

 母は熱心に見ている。1年半、ほとんど病院の中。絵が好きだ、と言っていた。会社に勤めている時、昼休みに近くのデパートに絵を見に行ったりもしたらしい。後で知った読売アンデパンダン展も「あんなに暗いのは嫌。戦争でもうたくさん」などと言っていたが、とにかく見ている。

 

 そういう母だから、病気になっても、熱心に見ているのだろう。ただ、説明の文章が、時々分っていないようで、歴史上の人物の名前が、ごっちゃになっている。やっぱり、病気なんだ、と勝手だけど少し悲しくなる。あれだけ、記憶力には本人も自信があったのに。

 

 常設展の、抽象画だったり、の作品まで母はわりと熱心に見ていた。

 そして、終ったら入館してから1時間と少しがたっていた。もちろん時々、イスに座ってだけれども、こんなに時間がたっているとは思わなかった。

 

 母と一緒にそこの喫茶店で、何かを食べた。母は、アイスが食べたいと、クリームあんみつを注文した。

 午後5時30分。ちょうど夕食の時刻ぎりぎりに病院に帰れた。

 タクシーの中から花を見たり、そして戻ってから「今日はホントに楽しかったわ。ありがとう」と何度も言われた。

 

 行って、よかった。

 それから約1週間後には近所のお寺。大岡越前のお墓がある場所へ行って、そこの桜を見た。

 すごく喜んでくれた。

 

 

(2002年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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