2002年3月15日。
母と一緒に行った。
前から行こう、行こうと思っていて、やっと行けた。
入院してから1年と半年。やっとこちらの余裕が出来てきたということだろう。それに入院費用の減額措置が、やっぱり物凄く精神的なゆとりを生んでくれている。この前まで道ばたで、死体のようにばったりと倒れている自分の姿がイメージできるくらいに、今までは死んだようにぐったりとしている日々だった。
病院からタクシーで約30分。料金は3000円。
また来た。
そういえばここの「トウキョウポップ」から、自分の中での美術史は始まっているから、感謝しているし、母が病気の後、最初に来たのもここだった。そして、また来ている。
「立派ねー」。
母は感心している。
そして、日本画家の安田靫彦。申し訳ないのだけど、私は知らなかったが、母の方が知っていた。見て回る。かなりの人。平日なのに、たくさんいる。1階からエレベーターに乗ろうとしたら、1回は階段で登ろうとして、その段の多さに挫折し、一緒に乗ってきたおばちゃんの3人づれ。たぶん、こうった人達で大分部分が占められていそうなその建物。
歴史画というジャンル。
聖徳太子も他の人も、ほとんど同じ目付きをしている。卑弥呼が妙に綺麗に、でもそれまでと同じに描かれている。よく出来た、教科書に載っていそうなイラスト。そうとしか思えないのに、そして、卑弥呼なども「こんなに端整なわけはないのでは」などと思ったが、何だか妙なメルヘンな匂いも強い。
母は熱心に見ている。1年半、ほとんど病院の中。絵が好きだ、と言っていた。会社に勤めている時、昼休みに近くのデパートに絵を見に行ったりもしたらしい。後で知った読売アンデパンダン展も「あんなに暗いのは嫌。戦争でもうたくさん」などと言っていたが、とにかく見ている。
そういう母だから、病気になっても、熱心に見ているのだろう。ただ、説明の文章が、時々分っていないようで、歴史上の人物の名前が、ごっちゃになっている。やっぱり、病気なんだ、と勝手だけど少し悲しくなる。あれだけ、記憶力には本人も自信があったのに。
常設展の、抽象画だったり、の作品まで母はわりと熱心に見ていた。
そして、終ったら入館してから1時間と少しがたっていた。もちろん時々、イスに座ってだけれども、こんなに時間がたっているとは思わなかった。
母と一緒にそこの喫茶店で、何かを食べた。母は、アイスが食べたいと、クリームあんみつを注文した。
午後5時30分。ちょうど夕食の時刻ぎりぎりに病院に帰れた。
タクシーの中から花を見たり、そして戻ってから「今日はホントに楽しかったわ。ありがとう」と何度も言われた。
行って、よかった。
それから約1週間後には近所のお寺。大岡越前のお墓がある場所へ行って、そこの桜を見た。
すごく喜んでくれた。
(2002年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。