アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

エミリー・ウングワレー展。2008.5.28~7.28。国立新美術館。

f:id:artaudience:20211230102907j:plain

エミリー・ウングワレー展。2008.5.28~7.28。国立新美術館

2008年6月28日。

 午後12時少し前に着いた。妻の友人とも待ち合わせた。

 エミリー・ウングワレー。

 先週の日曜美術館でやっていた。

 

 点描の絵が並んでいる。きれいだけど、そして、でも描化されている感じがちょっとして、うーん、みたいな事を思って見ていった。途中で、説明のビデオみたいな映像が休憩室で流れていて、しゃべっているのは博物館の白人の関係者だった。博物館なんだ、と思う。年表を見ていたら、80歳近くになって描き始めて、というエピソードがあった。そして、このエミリーという人はアボリジニの社会の中で、ずっと儀式のボディペインティングを描いてきた人だから、その保存のために、描いてみたら、みたいな柔らかい強制力があったのではないか、みたいな事を思ってしまうのは、逆に妙な見方に過ぎないのだろうか、などと思った。だけど、西洋美術の教育を受けていないのに、とか、西洋の抽象画にも通じる、などという表現はごうまんだよな、などと思うのは、でも、描いた本人には描く事しかなかったのかもしれないけど、でも、だから、こうして東洋の人間にも見る機会が出来た。

 

 だけど、大きい点描のものは、キレイだったし、と思っていたら、線が主体の部屋になったら、おお、と思った。何だかすごくよかったのだった。どこか自分だけではない描き方などをしていて、それとは別にブワーッと描いている激しい線もあって、何だか大竹伸朗の絵に似ているように思え、そして、最後、死んでしまう2週間前に20枚以上の絵を描いて、それが太いハケのようなもので、ざっと描いているのに、ちょっと遠くから見た時に別の人の絵のように見え、ものすごくキレイだった。そして、絵の力もすごくあった。

 

 オーストラリアの画家というのは、知識がないだけかもしれないが、知らず、このエミリーがオーストラリアでは初めて1億を越えた画家みたいな言われ方をされていて、でも、それは、ある意味では皮肉なことなのかも、などと思う。

 

途中で立体の部屋があって、その立体がエジプトの4000年前のものみたいに、妙な自意識が少なくて、すごくよかった。妻と一緒に、その中でいいねー、となったのが作者不詳のフクロウだった。

 見に来てよかった。

 

 

(2008年の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.amazon.co.jp