アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「Tーart Academy 会田誠 アーティストトーク。現代美術にとって画材とは何か」。2016.7.17。PIGMENT(ピグモン)

2016年7月17日。

 少し前にバラエティーでやっていた街。ほぼ印象がなく、モノレールで通り過ぎる駅や、確か劇場があって、という記憶しかなかったが、いつのまにかいろいろな施設が出来たり、おしゃれ感が出てきていたりして、それが寺田倉庫という会社が作り上げているような印象もあって、そして、会田誠トークショーがあったが、3000円だし、かなり専門的な内容だから、もっと必要な人が行ったほうがいいと思っていたのに、前日になってもまだ募集をしていたので、申し込んだ。

 

   天王洲アイル。降りた記憶がない駅。

 ビルがたっていて、他に何もない感じの街。

 未来の街。

life-designs.jp

 地図を見て、どうやら大きいビルの1階と分かり、出口から出て、歩いて、わりとすぐの場所だった。画材屋さんだと来て初めて知った。それも日本画の画材の岩絵の具という素材のビンが壁際に、1000や2000の単位で並んでいる。なんだかすごい。受付で名前を言ったら、見つからなくて,「きのう、申し込んだんですけど」というと「いた」と言われて、手続きをする。前のほうへ詰めてください、と言われたが、後ろのほうに座り、午後3時の始まる10分前くらいになってから、隣の建物のトイレに行ったら、途中で会田誠とすれ違った。

 

 トークの予定は、15時から17時まで。

 

  店の一角を使って、イスを並べてあるが、約40名が来ているものの、空席もあり、昨日の段階で受け付けてくれたのも分かる。最前列は、話す人と二メートルも離れていなくて、だけど、少し高いイスに座って話すことになるから、ちょっと違うのかもしれないけれど、注目されるしんどさみたいなものはあるだろうと思う。だけど、今は、こういう場所でも話せるようでないと、アーティストも難しくなっているのだろうし、たとえば小説家でも、こういうところで話が出来ないとダメなのかもしれないなどと思いながらも、時間が来て、会田の隣にはコンピューターでパワーポイントをあやつるミヅマアートギャラリーの女性スタッフがいて、インターネットで画像を検索して、それをすぐに見せてくれるから、そのゆったりとした語り口も含めて、ゆとりみたいなものまであった。

 

「このテーマは偉そうですが、ある文のパロディーです」みたいな言葉から始まり、最初は、小学生の頃の話から、それも映像こみで始まった。自分が微妙な立場なのは、映像も立体も絵も作るから、と思っているが、画材もいいものからひどいものまで、その幅が広い、と会田は続ける。

 

(ここからは、会田誠が話したことです)。

 

   小学生の頃は、水彩も好きだったが、最初の油彩は同級生の女の子が油絵セットを持っていて、それを分けてもらいながら、だったが、その感触は独特で、気になっていたらしい。それから、高校の時には日本画展を見たものの、ピンとこなくて、それには理由があって、一つは地元・新潟のレベルが低いせい。もう一つは戦後の日本画に興味を持てなかったせいだと思う、といった話のあとに、高校時代の作品の話になる。

 

 陰毛皿、という作品。皿に陰毛を貼付けたものだけど、実は陰毛だと反発が強くてはれず、だから、頭髪をいろいろ工夫して、それを貼った。この頃から、こういうことをしていたが、ただ、現物にこだわる、という感じでもなかったようだ。

 

 予備校の頃に、クイックの油彩の画材があって、それは早く乾く、というもので、受験用に、時間をかけずにそれなりに質感があるような作品を仕上げる、という必要性に迫られているものだけど、それは日本だけにあって、やっぱり変だと思う、と会田は言う。

 

 今の個展については、ターナーデザインガッシュを使っていて、それはスポンサーをお願いしたのだけど、村上隆鴻池朋子も使っていて、日本人の塗り絵を塗るような感じに合っているのではないか、といったことを思ったが、それは国際的にいえば、邪道ではないか。

 

  画材の話をする時に、自分がいた大学院の話をしなければいけない。

 油画技法材料研究室にいた。それは、人気がなかったので、自分でも入れるのではないかと思って、入った。佐藤一郎という先生で、すごく古いことを言っていて、ルネサンス期が最高などという、そして、ファンアイクの神秘の子羊がその象徴ということを言う人で、絵の具の使い方が最高だと言っていて、そして、少し右翼な人でもあった。ただ、実際に作品を見ると、中国人アーティストのバブルみたいな時の、家族肖像と似ている。(確かに似ていた。調べたらジャンショオガンというアーティストだった)。だから、逆に古く見えなかったりするのだけど、その頃、榎倉康二という先生がいて、その人だけが現代美術の人で、でも人気があったから、勝手に憎しみを持ってみていたし、同じ方向へ進みたくない、といった気持ちもあった。ただ、早くに亡くなってしまった。いろいろと言ったものの、在学中に、佐藤一郎という人は自分は文章が固いと思うので、これからは芸術家も書けないといけない、ということで、書くプロを呼んで、授業をしてくれたりした。

 

 ところで、芸大は、古美術研修ということで京都に行くのだけど、50人くらいの中で、毎年3人くらい、それがいい、という奴があらわれるけど、自分もその1人だった。帰って来て、絵巻物を描いたけど、そのモチーフがゴキブリだった。ただ、古美術は面白くて、それでも、にかわが面倒くさくて、すぐにアクリルガッシュを混ぜ始めて、「あぜみち」も日本画っぽい感じにするために、いろいろアクリルをベースにして、いろいろとまぜている。だから、邪道で。ただ、明治以来の日本画というシステムには興味が持てなかったが、古いのは面白かった。

 

「雑草」を描いて、そのあとは、アクリルとペンキだけど「無題(通称・電信柱)」を描いた。それは、日本画の精神を描いた、と思えた自信作だった。

 

 ここで、ひどい画材の話をして、そして、どこかで折り合いがつくかな、と思って話を進めてみます、と会田はさらに続ける。

 

 ヨーゼフボイス。脂肪を使っていて、途中から蜜蝋に変えたという話もありますが、でも、これは最初の脂肪を使うべきでは、などとも思います。保存性は最悪ですが。

 クリス・オフィリ。アフリカ象のうんこを使っているアーティスト。これも切実な意味はあるが、画材としては、ひどい。

 自分の作品では、けっこうひどいのが戦争画リターン図のこれ(無題。原爆ドーム)。安いビニールクロスを使ったら、神々しくなって、だけど、今は、もう黄変しはじめていて、持つかな、という素材だった。

 ただ、言い訳ではなく、古くなっての汚れやかすれが、芸術っぽくしてくれる、ということも事実だと思う。古い仏閣もそうだし、だから、新しく、最初の形にしたものは不評だったり、ミケランジェロのものを復元したら、不評だったりもするのでは。村上隆の五百羅漢も、ポップアーティストとして、鮮やかな色を使っているが、いろいろなテクニックで、かすれみたいなものを出していて、それは葛藤のあらわれのようにも思っている。尊敬、もちろんしていますが。

 

 自分のでは「ゼニ」。確か1999年かな。ステーションギャラリーで、VOCA展のような感じを始めて、一回で終ってしまったのですが、賞金が高かった。その頃は貧乏な頃でお金がほしかった。それで、近くで汚れたブルーシートがあって、その大きさが、その募集要項とぴったりだったので、そこにゼニという文字をテープではって、だけど、すぐに分らないように谷岡ヤスジ風にして、という説明をしていて、自身でも失敗だと思う。

 

(その時に、実際にその作品を見ているが、ゼニと描いてあったのを初めて知った。同時に、とにかく作ることなんだ、と改めて思った)。

 

 あとは、ヨコハマトリエンナーレで、よしおさんという作品を作って、それはホームレスが住んでいたという作品で、腐った畳を使って、だけど、そこにインスタントラーメンなどもつけたが、それを防腐剤で煮たら腐らないのでは、とやったが、それが自分の限界だとも思う。ただ、その作品は、終ったら捨ててしまったが、それをチンポムのエリィが高校1年生で見て、感動してアーティストになろうと思ったらしいので、それだけでも意味があるかも。

 

 あと、一つ、画材について言おうと思ってきたことがあったので、言います。

 ラピスラズリとか、宝石を削って、使って、ということがあるけど、それを使っても、駄作だったらゴミみたいになっちゃうのに、使っていいんだろうか、というようなこと…。

 

「みんなといっしょ」。この作品は画材としては、安い。だけど、これで残れば、それは自分のやり方に価値がある、ということになるから、もし残るものだったら、安いほうがいい、というのが画材に対する考え。もったいない精神もあるかもしれない。

 中村一美さんのように、ものすごく大量な絵の具を使う人もいて、それは、必然性もあるけど、ひとはけが、大チューブ5本分だったりもして、それで、今回の作品は、ボリューム感は違うもので出して、表面だけ色をつけて、ということをしたのですが、オウラは出ない、ですね。

 

質疑応答の時間になる。

 

 

Q 保存性については?

 

会田:最新作は、化学と化学で持つと思っている。

だけど、残すべきものを作ったら、後世の人が、いろいろやってくれるので、信じて作りましょう、と後輩の人には言いたい(笑)。

 

 それで、少し関係ないのかも、と思いますが、何年か前にウォーホル展を森美術館でやって、その時に最後のほうに、私物があって、それは作品は新しいままなのに、その私物は黄色くなったりしていた。それで、あ、ウォーホールは亡くなったんだ、生きていても、じいさんなんだ、ということを思った。

 仏教の古びとか、経年劣化はするものもあって、ゴムとかはすごくすぐに古くなる。

 

 ところで、現代美術の濃度が自分は薄いと思っていて、濃い奴はとにかく現物にこだわるのだと思っています。

 

 質問は2人。まだ10分くらい残しながらも、終了した。

 

 ヒゲは白いが、髪の毛は勢いがあって、思った以上のエネルギーを感じた。まだ、新しいものを作ろうとしている。若い時から、やりたいことをやろう、という姿勢が変わらなくて、そういったことを質問したい、と思ったのを、終って長い時間がたってから、思い出した。

 

 

(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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