アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ジャパン・コンテンツとしてのコンテンポラリー・アート  ジャパニーズ・ネオ・ポップ・リヴィジテッド」。対談。村上隆 ヤノベケンジ 中原浩大。  モデレーター 楠見清。文化庁メディア芸術祭 。特別シンポジウム「想像力の共有地〈コモンズ〉」。2014.2.16。国立新美術館。

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「ジャパン・コンテンツとしてのコンテンポラリー・アート  ジャパニーズ・ネオ・ポップ・リヴィジテッド」。対談。村上隆 ヤノベケンジ 中原浩大。  モデレーター 楠見清。文化庁メディア芸術祭 。特別シンポジウム「想像力の共有地〈コモンズ〉」。2014.2.16。国立新美術館

 

2014年2月16日。

 あれだけ「伝説」みたいに言われている対談があって、それは美術手帖を舞台に行われて、それがもう22年前だったりもして、自分にとっても、それは、その時期によく行われた、と後になったら思ったりもするのだし、ただ、その時に話されたことというのは、今まで、その3人にブレがないというか、よくある程度以上に順調に進んで来たと感心はする。

 

 もしかしたら、その時のおそらくは自分たちの選択の間違いのなさ、というようなものを誇りたいのだろうか、と思ったら、村上隆はそうしたノスタルジックな話になったら無意味だ、といったツイッターをすでに2日前にしていた。

 

 15分前に行ったら、並んでいた。定員が250名だそうだけど、前もって予約をしていたので、スムーズに並べた。前の方に座ったら、関係者席が近く、少し聞こえてくる話題が、自分が目立つことというか、自分に利益がありますように、といった内容のようで、ちょっとうんざりもした。自分の席からパーテーションで区切られた控え室のようなものが見えて、そこにすでに今日の出席者がいるが、妙に緊張感があるように見える。やあやあ、というようなあいさつがされているのが、一般的なのに、とは思う。

 

 始まって、最初にモデレーターの楠見氏が話している。紹介の映像はよく出来てはいるものの、ただ、今日、せっかくそこに3人ものアーティストが揃っているのだから、その3人の話が聞きたいとは思う。壇上にいる村上以外の3人は、みんな大学の先生になっている。村上隆の個展(2001年)の時のトークショーの司会を楠見氏がやっていたが、その時はもう少し緊迫感があったように思えるほど、受け答えもゆるくなっていたように見えた。

 

 村上隆は、繰り返し絶望を語った。というよりも、絶望の向こう側にいることを語った。日本の現代美術のオーディエンスが愚かだから、日本では展覧会はしない。 文脈も理解しようとしないで、分からないのが悪いと言ってくるような愚かな日本の観客には見せたくない。ただフィルムやアニメはやっていく、というほとんど結論みたいな話を語る。村上の言葉は、硬質な物質のように確固としていて、強い。長年の覚悟の継続が磨き上げて来た言葉であり、自分の気持とのズレも可能な限り少なくしていく、という努力もあったのだと思わせる。

 

 対して、発言を否定されている楠見氏は、その受け答えに覚悟が見えない。今、丸くなったともいえるが、ただ、ぬるくなったとちょっとがっかりした。そうした村上に対して、きちんと素直に向いていたのがヤノベケンジだった。時には、自分の作品についての感想をストレートに聞いたりもしていたが、その対談はとても密度が高いと思えた。村上隆の絶望を少しでも分かろうとしていたのか、それでもなぜ日本にいるのか、というような疑問を少しでも知りたかったのかもしれない。インテリ、職人、アーティスト。中原、ヤノベ、村上は、そんな風にも見えることもあった。

 

 プロレスの暗黙の了解が壊れた試合をセメントというが、アンディー・ウォーホルに例えた楠見氏に対して、本当にくだらない。話す気もない。という村上氏や、ポップの耐用年数が切れている、という言い方をした楠見氏にも、そんなことはない。誰かがピリオドを打たなければ、機械ではなく文化なのだから、そんな事はない。とほとんどKOのような状況になっている。

 

 さらに村上は、中原の昨年の展覧会に関しても、いい点を見つけられもしない、というものすごくストレートなダメ出しもしている。

 そして、日本では自分の作品は2点だけしか収蔵されていないし、展覧会のオファーもない。だから評価されてないし、こちらからもする気はない。

 

 ヤノベが何度も、現代美術が理解される下地を作ることは?と聞いても、、浦上は、それは努力して、でも無理だとあきらめた。という答え。その上で、「ガロ」の作家としてがんばる。アメリカへ行けば、スーパースターですから、というような事も言いつつも、痛々しい印象は強くなって行く。

 日本では、現代美術のオーディエンスは愚かだけど、オタクは世界一だと思っているので、そこに対して映画やアニメを作って行きたい。現代美術の作品はアメリカやヨーロッパの専門家へ向けて提示していきたい、と明確でいながら、とても困難な戦いの話を村上はしている。まったく違う戦い方ということも当然、自覚しながら。

 

 ヤノベが、感動するような作品を作りたい、というような事を語ると、村上はあくまでも文脈という話になる。

 

 最後の方で、ヤノベが村上に対して、大変だ、ということをちょっとしみじみと言う。好きなのに、憎んでしまう、自傷行為のようにも見える、という言い方をしている。

 

 会場からの質問にも、村上隆の作品でオタクのことが誤解されているのでは、みたいな質問があって、それは海外の人間をなめている、という言い方をしたあとに、正しいものが歴史に残る。という断言もして、そして、随所にぼくらアーティストをバカにしている、という言い方を何度もしていた事を改めて気づく。

 

 別の質問者が、ローカルな中原氏とインターナショナルな村上、という質問をしたら、そういうのが典型的なダメな見方、という言い方をして、僕らアーティストは、言葉にならない、なんだか分からないものを、必死で、人生をかけて、たぐり寄せようとしているだけ。ただ、それだけ。

 という言い方をしている。

 

 考えたら、表に出てくる必要もない。

 もっとソフトに語ってもいい。

 だけど、質問者にも同じ場所で正面からぶつかっている凄さはある。

 これだけセメント感があって、緊張感のある対談も、そして予定調和から遠い場所も珍しかった。

 

 

(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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