2019年10月12日。
午前8時過ぎに姫路に着く。台風が来ていて、東京・名古屋間の新幹線は全部止まっていて、名古屋から西に向かうのは、今日の6時台しかなくて、もしかしたら初めてそういう便に乗って、台風から逃れるように姫路に来たのは、身内の結婚式が明日にあるからで、姫路について、ホッとして、東京の留守番電話を聞いたら、3件の伝言があって、全部、身内からのものだった。すでに姫路についているので、一緒に行動しませんか、といった内容だった。改札を出たら、身内が来てくれていて、ホテルで荷物を預けて、そこから一緒に喫茶店のモーニングを食べて、そこから美術館にバスで向かう。風が強い。
姫路市立美術館には初めて行って、とても広くて、昔の豪華な建物でもあって、そこに川端康成のコレクションが並んでいる。無難というか、渋いというか、いかにも、みたいな作品が並んでいるが、熊谷守一は、おっと思ったり、草間弥生の作品は見たことのないような作風のもので意外でもあったし、そして、草間の若い頃の作品だった。
それから強い風と雨の中を、あとで考えたら、姫路がもっとも台風の影響が出ていた頃でもあったのだけど、川端康成の学生の頃に10代の「初代」さんへの傲慢な手紙などを見たせいもあって、見方が少し変わったかもしれない。
展示品の中に、池大雅の絵があって、それは国宝らしいが、国宝は購入できるわけがないから、購入後のはずだけど、そして、他の何点かの作品もそうなのだけど、川端の文章を読んだら、微妙な表現をしていて、人によっては国宝を買ったかのような感じに見える。
あとは、新鮮だったのが東山魁夷との関係性で、東山より、ノーベル賞作家は圧倒的に力関係が上のはずだから、と思いながら、東山に関する文章を読んだら、特に初期は決してほめていない。それが変わるのは、川端の考える「日本」の風景みたいなものを具現化するような画家は、東山しかいなくなったのか、もしかしたら、川端の思いを、東山が忖度をして作品を作っていたのか、みたいなことを感じ、川端康成はこわいとは思った。
そうしたことを思うのは、意地悪な見方なのかもしれないが、女性への手紙などを読んだせいかもしれない。あとで調べたら、どうして川端康成を姫路で、と思ったが、この展覧会は、どうやら3年前に東京ステーションギャラリーで行われていたから、そこから全国を回っている、ということなのだろうと分かった。
(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。