アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

DAVID BOWIE is 。2017.1.8~4.9。寺田倉庫G1ビル(天王洲)

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DAVID BOWIE is 。2017.1.8~4.9。寺田倉庫G1ビル(天王洲)

2017年3月30日。

 

 妻が珍しく、積極的に見たいということで、行こうと思いつつも、予約だったり、みる時間に制限があったりするので、何となく行くのが遅くなっていたものの、3カ月くらいの会期の終わりが迫ってきたので、インターネットのサイトだとクレジットカード決済なのでやめて、近所のコンビ二でチケットを買って、出かける。

 

 去年、会田誠トークショーで訪れた日本画材の大きな店の前を通り過ぎ、さらに進んで、デヴィッド・ボウイのポスターがあった。わりとビジネスライクな疲れを漂わせた青年が、こちらでーすと声をあげ、内側からしから「閉」が効かない、倉庫仕様のようなエレベーターは内部が、プラモデルっぽい内装になっていて、それであがって、5階が会場になっている。すこし暗い。

 

 中は平日なのに、かなり人がいて、展示物の前に並んでいて、それほどじっくりは見られないのが分かる。入る前にヘッドフォンを渡され、その時々で的確な音楽や解説が流れる、ということで、確かに、それと映像と音と、それから衣装の並びは、バレエの歴史みたいな展覧会をみたときを思い出したりもしたが、その細さに、こんなに細かったのか、と改めて思ったりもして、そして、その仕事のあちこちに、その頃のアートの影響が色濃く、というよりは場合によっては、人形の顔に映像を映すとか、そのまんま取り入れたりもしていて、だけど、とにかく新しいこと、違うことをやろうとして、やり続けてきていて、それは、そのたびに、熱狂を生むような、とこれまでほとんど知らなかったのに、思うようになったりはした。

 

 さらには、そうした「次へ、次へ」に疲れたせいか、薬の依存症になった過去も当たり前のように語られたりするのを知ると、国内のここ何年かの薬依存の人への非難のことも思って、何かあったら、デビッド・ボウイだって、ということが言えるかも、などとも思ったが、それだけの期待だったり、売れなきゃ、という気持ちも大きいだろうし、ヒットが義務づけられる、ということが、どういった質の気持ちで、どういう種類の負担なのかは、ホントにそこにいる人ではないと分からないかも、などとも思う。

 

 今回の展覧会の微妙なチケット代の高さは、音楽とか映像とかのテクノロジー代金かも、と思いながらも、こんなにいろんな曲を作っているし、こんなにいろいろな衣装をきていたんだ、と改めて、思って、大変だったんだ、というような事を、まとめて見ると、そんなに知らなくても、思ったりもする。

 

 そして、最後は音楽が流れる部屋。まともに知っているのはスターマンだけだったりするかもしれないが、途中の戦場のメリークリスマスのコーナーで、みんな若くて、時間がたったことを強く感じ、同時にちゃんと見てない、と思ったりもして、そして、坂本龍一デヴィッド・ボウイが抱き合う場面では、コマ落としみたいな映像になっていたのが、映写機の故障と知り、そういう偶然もあるんだ、とどこか感心もしたりした。1時間半。楽しめた。併設されていた、デビッド・ボウイカフェ、という名前をつけるには、ちょっと最先端さが足りないと感じるカフェで、コーヒーを飲んで、コースターをもらって、お特な気持ちになった。

 

 

 

 

(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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