2014年9月15日。
先週に続き、アートが見られる。
やっぱりちょっとうれしい。
オペラシティのギャラリーは広さが手頃だし、今の介護生活に入って、覚悟とかあきらめとか怒りとか悲しさとかがある時にオープンした新しいギャラリーだった時に来て、気持ちを支えられた記憶があるので、勝手に恩を感じている。
あれから何年も経って、自分がその間、ずっと介護は休みなく続けているのは変わりがないが、その蓄積にならない長さを考えると、やっぱりどうして生きているんだろう、と思ったりもするが、アートに触れている間は、そこに集中しているし、生きているから見る事も出来るのも事実だったりもする。
絵画とは何か?どうして、今もアートとして成立できるのか?
「2000年以降に活躍する24名の近作、新作合わせて約120点によって、最新の動向を紹介するとともに、今日の絵画表現がもつ意味や本質を探ります」とチラシにあった。
いつもとは違うギャラリーの導線。だまし絵っぽい絵から始まる。このギャラリーのオープンニングの展覧会のチラシの上に描いたように見せている絵。チラシも手描きだった鹿野震一郎の作品。わざと古い油絵、っぽい質感にしているようだ。
失礼なのだけど、どこかで見た具象画、どこかで見たような抽象画が並んでいるように思ってしまった。名前のプレートがなければ、見分けがつかないような印象を持つときまであった。新しさが分からない。ただ、千葉正也、大野智史、高橋大輔、など他のジャンルの有名人と名前がほぼ一緒だったりする人が多い、という印象もあった。
未来の体温展でも見た、絵の具をうそみたいに盛り上げて、材料として使っている高橋大輔は、絵って?なに、と考えたりするきっかけをくれた。ゲイサイ出身の工藤麻紀子は、内向的な暗さがあるけど親密さとなつかしさで、思い出のような絵を描き続けているのを知って、勝手に少し安心もした。
ただ、「絵画表現がもつ意味や本質を探」れなかったのは、自分が、まだ知るべきことを知っていないせいもあったのだろうか、と思う。ただ、たとえば、ある作家は、そのプレートの説明のほうがものすごく魅力的な作品に感じて、実物はそれに負けていたような気がするのだけど、それは、動向を知らない、という事なのだろうか。
そんな事を考えて、それだけでも価値があるのかもしれなかった。
妻は、持塚三樹が気に入っていた。植物が描かれているだけではなく、その表現にラブリーさがある、ということらしい。
祝日のせいか、人が意外と多く、FMラジオで声は知っているピーターバラカン氏が見に来ていた。
(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。