1997年5月17日。
木の枠。それに色をつけている。ドナルド・ジャッドとかの亜流にしか見えない。そんな知識がある方が悪いのだろうか。それは、中途半端な見方なのだろうか。
でも、それを専門家が無視していいはずもない。と思う。C.A.Rというスカイドアの発行する冊子に作家のインタービューが載っているけど、聞く方も具象画がどうした、抽象画がどうのという聞き方に何の疑問も持っていないように思え、そういう分け方していていいのだろうか?などと、見ている素人が思ってしまうけれど、それは、見る側の理解不足なのだろうか。作品も、粘りが感じられず、悪いけど工作のようにも見えてしまった。そう見せているのかもしれないけれど。
冊子の中で、長谷川等泊が石川県七尾の生まれ(妻の父親の故郷)だと知ったり、大岩オスカール幸男が、ポロックの財団に申し込んで、何のために使うかも、作品にその財団のクレジットも入れなくていい、という条件だっという、情報は役に立つ気がした。
(1997年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。