2008年1月19日。
エルネスト・ネトのクッションは妻と一緒にかぶった。寝転がった。気持ちよかった。でも、似たようなものはありそうだった。そのクッションは並んでかぶったのだが、メガネをとってください、というような事もあったり、その姿を待っている周りの人に見られるという事もあり、なんだか、恥ずかしい空気はあった。ただ、そのクッションの前の部分が少し汚れていたりして、もう3ヶ月たっているもんなー、と貧乏くさい事も考えた。
そして、私にとっては、その大きな風船が印象に強かった。
確か、1トンくらいある、というような情報を聞いたような気がしていたが、浮いていて、不安定なのに静かだった。でも、空調でどうしても一方向へ流れるようで、それを戻す係員がいて、その作業が一番楽しそうだった。
実際にそういう物体がそこにあるだけで、座って見れるスペースもあったが、そこで見ていると何だか時間の進み方が違って感じられるような時もあるのだった。
沢尻エリカの100種類の写真。全部、特殊メイクなどらしい。CGではない。という断り書きがいるのが面白かったが、本当にCGでやったら、やっぱり違うんだろうか。特殊メイクとCGとホントに違うんだろうか。CGは、やっぱり加工する軽さみたいなものが出てしまって、目に対して粘りのないものになってしまうんだろうか。みたいな事は後になって考えた。
全体を通して見て、生意気にも思ったのが、業の浅さみたいなものだった。こういういろいろなジャンルにまたがる、って何だか新しそうで、というイメージはあるのだけれど、なんとなく、物足りなく思ってしまう。下手すれば、会議室が見えるような気がしてくる。
外に目を向けて、あのジャンルのこういう要素を取り入れよう、みたいなのは、一見、楽しそうだけど、ホントに未来があるんだろうか。参加型みたいなものは、ホントに参加しているんだろうか。
あるジャンルの中だけで、ある方法だけで、なんだか分からないまま突き進んで、掘り進んで、そして、なんだか別の場所、妙なところへたどり着く、どうせなら、そういうものが見たい、と思うのは、こちらが一種の変態になっているだけなのだろうか。そういう気合いとか、執念とか、異様な集中力とか、そういうものを感じなかった。こういう知性的だったり、理性的だったりするものって、新しそうで、でも、もう20世紀に過ぎないものが多かった、と思えるのは間違いだろうか。
なんだか、わりきれないものが、やっぱり残る。ある意味、もっとへんなものが見たいだけなのだろうか。なんだか、キレイな教科書のような印象もあった。
(2008年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。