2018年10月21日。
何度か行って、今は地図を見なくても行けるようになった場所。ただ、いつも顔見知りが集まったり、あとは明らかに若い人ばかりが集まっているのは、ある意味では予備校に近い構造で、今アート作品を作ろうとしている人たち、これから世の中に向けて伝えようとしている人たちの作品だから、若い人が来るのは当然で、ある程度、年齢のいった自分のような人間であれば、コレクターだったり、ギャラリストだったり、そうした人でないと行ってはいけないのではないか、といったことを思ったりもして、最近、疎外感をよく感じるから、何となく寂しくもなることが多くなった。
松浦香帆の作品は、何かのキャラクターが好きで、そのキャラクターと自分を一緒に写した写真が数限りなくびっしりとはられた箱のようなものがあって、そこに映像が映し出されていて、それがストーキングみたいなことらしいが、そこまでは分からなかった。
青木美虹「キラキラの神さま/エフェクトについて」は、立体で、きらきらするものが回っていた。満員電車の風景が刺しゅうされて、その上にはちょっと恐い表情にも見える顔が回っていて、それが点滅するライトで、妙な区切りになっていて、これがすごくいい、というのが、いまひとつ分からなかったけれど、ただ、その文章が、「母が異常なくらいに私を愛してくれていて、何か理由があるのでは、とすら感じ始めた。
尋ねてみたら、自分が配偶者間人工授精で切望されて産まれてきた子供だと知った」といったものも含まれていて、作品自体が「母親とわかり合いすぎたために他人とわかり合えなくなったとき、自分を映画として引いて見ることが、共依存をほんの少し解決する方法かもしれない」とあって、作品の上部で回っているのが母親の顔だとしたら、やっぱりちょっと恐くて、この共依存を弱める、というようには思えなかったが、完成度は高いのだろうと思った。
そのあと、ツイッターか何かで刺しゅうで点滅する照明が、青山悟の作品と似ているのでは、といった指摘を知り、ああそうかも、と思ったが、見ている時にはほぼまったく思わなかったので、どちらかといえば、伊藤存ではないか、とあとで思ったが、また卒業展で見られるので、違う作品も作ってくれたら、また違う印象になるだろうしとも思った。