アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「眩暈」 ゲンロンカオスラウンジ 新芸術校4期生 グループB。2018.10.13~21。ゲンロンカオスラウンジ五反田アトリエ。

「眩暈」 ゲンロンカオスラウンジ 新芸術校4期生 グループB。2018.10.13~21。ゲンロンカオスラウンジ五反田アトリエ。

 

2018年10月21日。

 何度か行って、今は地図を見なくても行けるようになった場所。ただ、いつも顔見知りが集まったり、あとは明らかに若い人ばかりが集まっているのは、ある意味では予備校に近い構造で、今アート作品を作ろうとしている人たち、これから世の中に向けて伝えようとしている人たちの作品だから、若い人が来るのは当然で、ある程度、年齢のいった自分のような人間であれば、コレクターだったり、ギャラリストだったり、そうした人でないと行ってはいけないのではないか、といったことを思ったりもして、最近、疎外感をよく感じるから、何となく寂しくもなることが多くなった。

 

 今回も無料なのに、きちんと展示説明のレジュメが用意されている。
 

 松浦香帆の作品は、何かのキャラクターが好きで、そのキャラクターと自分を一緒に写した写真が数限りなくびっしりとはられた箱のようなものがあって、そこに映像が映し出されていて、それがストーキングみたいなことらしいが、そこまでは分からなかった。

 

 青木美虹「キラキラの神さま/エフェクトについて」は、立体で、きらきらするものが回っていた。満員電車の風景が刺しゅうされて、その上にはちょっと恐い表情にも見える顔が回っていて、それが点滅するライトで、妙な区切りになっていて、これがすごくいい、というのが、いまひとつ分からなかったけれど、ただ、その文章が、「母が異常なくらいに私を愛してくれていて、何か理由があるのでは、とすら感じ始めた。

 尋ねてみたら、自分が配偶者間人工授精で切望されて産まれてきた子供だと知った」といったものも含まれていて、作品自体が「母親とわかり合いすぎたために他人とわかり合えなくなったとき、自分を映画として引いて見ることが、共依存をほんの少し解決する方法かもしれない」とあって、作品の上部で回っているのが母親の顔だとしたら、やっぱりちょっと恐くて、この共依存を弱める、というようには思えなかったが、完成度は高いのだろうと思った。

 そのあと、ツイッターか何かで刺しゅうで点滅する照明が、青山悟の作品と似ているのでは、といった指摘を知り、ああそうかも、と思ったが、見ている時にはほぼまったく思わなかったので、どちらかといえば、伊藤存ではないか、とあとで思ったが、また卒業展で見られるので、違う作品も作ってくれたら、また違う印象になるだろうしとも思った。

 

 林修平『自閉のためのダイアグラム』のことで、作者本人。トイレのスペースを使った自閉症をテーマにした作品。人と思える物体が、足だけ出して、そこにいる。他にもいろいろあるが、なんだかわからない、というより、さっぱりとしている。
 
 弟さんが自閉症で、ずっと普通に暮らして来たが、ドゥルーズとか自閉についてかいてあるものを読んで、(ここから正確に覚えていないが)いろいろと考え、領域というものを表現している、という話だった。「結界みたいな?」「そうです」みたいな答え。それなら、この空間が明らかに違和感があるというか、違うものに感じられたら有り難いです、みたいな話もした。
 ただ、ああ、と思えたのが、粘土かと思ったら、かんだあとのガムの固まりだったり、四角い小さな白い紙があって、あれなんですか?と尋ねたら、すごく情報量が多い話になった。

「あれは、写真です。あるミュージシャンです。そのバンドが、自閉症を英語でのタイトルにした曲を作って、それが、ぼくはおかしくなっている、みたいな始まり方で、その曲は抗議を受けて発売禁止になったんです、だけど、そんなことは関係なくて、外側の事に過ぎないので、外に向けて置いてあるんです」といった話をしてくれて、その写真を見せてくれたが、あとになって、あれは清春の写真だと、そのバンドが黒夢だと知った。

 いつも切実な作品が多くて、来てよかったと思えた。

 

 

(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

chaosxlounge.com

 

www.amazon.co.jp