2016年1月25日。
原美術館で安藤正子の作品を初めて見て、その質感の印象の強さに、すごいとしか思えなかったけれど、それは、工芸品としての凄さなのだろうか、と思ったり、だけど、その仕上がり具合は考えたら、村上隆と似ているアプローチで、自分のイメージを徹底的に、完成度を、必要以上に、想像以上にあげていくことで、作品に強さを宿らせる、ということなのだろうか。たとえばこれを機械で仕上げたとしたら、違うのだろうと思わせるもので、つるつるではあるけれど柔かく、まったく写真のような仕上がりだと言ってもいいのだけど、その絵で具体的に見えるようになっているものは、現実の光景のようで、どこにもないもので、それは作者のイメージとしかいえないものなのだろうけど、それは、現実と少しだけずれているせいで、余計にリアリティがあるような、そんな印象があった。
今回は小山登美夫ギャラリーで、最初に見たのは、人形町だかどこかの食料ビルで、そのあとは清澄白河にうつり、どちらにしても、やや不便で確かに街中にあるのに、そこに行くと、遠くまで来てしまった、人里離れたところにいる、といった、ちょっと非日常的な感覚になるところばかりな印象だったのに、渋谷駅の中といっていいヒカリエの8階という場所になって、そこには何度か行ったはずなのに、今も、それが受け入れにくいというか、ああそうか渋谷にあるんだ、といった感覚になる。
ギャラリーは、きれいなオフィスのようだ。若い女性は、絵がある場所が遠いといっても、紙パックの飲み物をストローで飲んでいる。あの飲み物は、何かの拍子で、ふっと押してしまうと、けっこう飛距離があるのに、などと思い、最初の部屋の作品。
一つは、まだ色がついてない、と思ったら、これがドローイングの「APE」だった。完成度が高い。もう一つは、赤ん坊が寝ている作品。これは見たかもしれない。
奥の部屋。3つの絵画。どれも、なめるような手触りがありそうな表面。立体のようで平面な本当に精密に描かれている植物や人物。だけど、人物は現実にはいない、といっていい存在。雪が降っている。柔らかさもある。
一緒に見に行った妻は、ものすごく近くで見ようとするから、自分の荷物を持って、絵に向かって倒れて傷つけたりしないように、コートのすそまで持った。とんでもない吸引力のある作品だった。
手作業が塗り込められて、その密度が何かを訴えてきていて、届く。
時間もここに入っているのかもしれない。