アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

映画「アキレスと亀」。2008.10.23。渋谷シネ・アミューズ。

映画「アキレスと亀」。2008.10.23。渋谷シネ・アミューズ

 

2008年10月23日。

 今度の「アキレスと亀」は売れない画家の話だった。

 しかも夫婦もの、だと聞いた。

 久しぶりに映画館で見たい、と思っていたが、妻といっしょは無理だろうな、とも思っていた。でも、テレビのコマーシャルで「見たい」と言った。樋口可南子の演技で見たい、と思ったそうで、その場面を見ても私には、どうしてそう思ったのか分からなかったけど、でも、見ようと思った。

 9月20日からロードショーで、でも、インターネットで調べたら、2週間くらいで1日に1回くらの上映になってしまい、私たちが見に行けるのは10月の中旬を過ぎてからだろうから、その時になると渋谷の10時過ぎの1回の上映に行くしかない。

 

 観客は、他には、一人、そしてカップルが一組。

 「アキレスと亀」は、若い男性が一人、本を読んでいる中年男性が一人、外国人女性が一人、あとから中年女性が一人、そして、わたしたち2人だけで上映が始まった。去年は「大日本人」を見ている時にも1度トイレに行ったくらい小便が近くなっていたから不安だったけど、あの時は、母が死んだ直後でやっぱり体調も今より悪かったのかもしれないけれど、2時間大丈夫だった。

 

 映画は、生々しくて、でも、土手の草が細かく震えるような場面は美しくて、人があっさりと死んだり、笑ったり、隣の人のこと、というより、ずっと自分のことのように思える近さがあって、いろいろな事を思った。

 

 どうして、あんなに素直なんだろう?と主人公の事を思ったし、これは「夫婦愛」を謳うのは確かに無理があるな、と思ったし、ああまでして絵を続けるのは、でも、主人公がおかしくなったとは思えないし、という意味で他人事ではなかったし、最後に自殺を2度もはかってうまくいかず、でも、包帯でグルグル巻きだから分からなかったけど、もうベレー帽の呪縛はとけただろうし、主人公の投げた空き缶が転がって樋口可南子の前にいって、それを蹴飛ばしたのは演出だろうか、偶然だったらすごいな、と思ったり、1ヶ月近くたっても、妙にまとわりつくように、ふっと思い出したりするから、すごいんだろう、と思った。

 

 今まで見た北野映画の中でも一番好きかもしれない。「TAKESHIS'」で映画を好きに作っていいな、とも思ったけれど、その映画の中で、本人が演じている俳優志望の中年男性が一人で家にいて、何をするわけでもなく、ただ布団に入って眠るだけのシーンがとんでもなく孤独感みたいなのが出ていて、すごいと思う前に、他人事とは思えない生々しさがあって、そして、今回も2本続けて、お客が入らなくて、だから、これは売れない画家といっしょかも、と思って作った、というどこかで読んだ記事がある意味、うそではないのだろう、とも思った。

 

 そして、こうやって、理解できるのは自分だけ、というような事を思わせるスゴさみたいなものもあるんだろう、と思った。どうして、まだこういう映画を撮れるんだろう、とその動機の強さ(ではなく、それが続くこと、みたいなところだろうか)に思いをとばしても、やっぱり分かったとは思えなかった。

 

 

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