アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

さやわか×佐々木敦「サブカル批評はキャラ概念で延命しうるか」【さやわか式☆現代文化論#25】。2016.3.31。ゲンロンカフェ 

さやわか×佐々木敦サブカル批評はキャラ概念で延命しうるか」【さやわか式現代文化論#25】。

https://vimeo.com/ondemand/genron20160331

 

2016年3月31日。

 会場は、何か知り合いの人たちが多い雰囲気で、それは珍しかった。トークが始まってしばらくたって、それは、批評再成塾の生徒だった人達だと知って、内輪の集まりな感じもあったが、それで新しいコミュニティが出来るのは、素直に素晴らしいことだとも思った。
 
 さやわかと、佐々木敦
 トークを抜粋する。(ごく一部に過ぎませんが)
 

佐々木  宇野常寛は、前の世代との切断を強調して、それで注目もされたのだけど、切断し過ぎたのではないか。

さやわか その切断みたいなものを、つなぎたいとも思っていた。

 

佐々木 いろいろなものを終らせすぎるのではないか。そうなると、次に待っている人さえ、いなくなってきたのが今ではないか。

さやわか ジャンルを焼き尽くさないということは考えている。

 

佐々木 自分がインサイダーではない、という自覚はある。どのジャンルもやる気のある人は、好きだし、次のスターは大事にされる。

さやわか  あるジャンルに献身すれば、それなりに大事にされる。

佐々木  だけど、それがやれない。

 

佐々木  「○◯◯についての言説」が批評だと思っていて、それは多いほどいいと思ってもいる。だから、今みたいに信者とアンチしかいない、というのはおかしくて、もっと真ん中の言説がないと変だと思っているので、そこをしていると考えている。ほめるか、けなすかのどちらかだけでなく。
 
 

 休憩をはさんで、トークは続く。

 

佐々木 ジャンルは、全部沈んでいくと思う。音楽に関わっていて、音楽が一番早いと思っていて、今は全部がぐずぐずで、これが全部のジャンルに行くと思うから。ただ、そこで生き残るとしたら、沈みきらないと思うので、そこで、仕事が来るとすれば余人に代え難い、ということだとは思う。

 

佐々木 オレだって考えてる問題が、震災以降、すごく多くなって、それでも、気持ちが重いのは、無理しているからだと思っている。これから、ひとり出版社のように、一人か2人が食えるようにしていって、個人的なことをしていく、という方法があると思っている。

 自分としては、たとえば500部だけ発行する。あとは刷らない。そのことで売っていく、というような方法もあるかもしれない。

 

 同一を見られるというのも批評のセンスだと思う。

 コンテンポラリーダンスを見ていると、他のことを考えていて、それを止めない、といったことも大事かも。自分がどう反応しているかを見る目みたいなもの。

 

さやわか  分らないもの。それを考える。

 

 距離をとれる、というような、さやわか氏が、自分は離人症的なところがあって、といっていたように自然に対象と距離をとる距離感があって、それが作品につながっているかもとも思った。

 

 午後11時を過ぎて、4時間を過ぎても続いていて、終る前に抜けた。

 有意義な時間だった。

 

 

 

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