https://bijutsutecho.com/artists/899
しかも、作品を発表するたびに、今の時代に、絵画を中心にして、しかも、その画風は、個性がはっきりしていて、変わりないように見えるのに、その扱うテーマや、展示の方法が、いつも新しく、それでいて人間の基本から目を逸らしていないようにも見える。
さらに、その創作に向かう姿勢が誠実なのも伝わってくる。
最初に、その作品を見たのが2017年で、その時に作者として、作品に対する話をしてくれたときの、気持ちが真っ直ぐに伝わってくる視線の印象が強いことは、おそらく忘れないと思う。
岡本太郎現代芸術賞
2018年に、弓指が受賞したのが「岡本敏子賞」だった。
https://taro-okamoto.or.jp/taro-award/21st/artworks/
最高賞が、岡本太郎賞だったので、2等賞、と言っていいのだけど、この時の受賞作品も圧倒的だった。
その受賞の縁もあって、それから、何回か岡本太郎記念館で、作品を展示する機会があった弓指が、今回は、岡本太郎の養女であった岡本敏子の視点を重視した展覧会を開くことになった。
そのチラシは、岡本太郎がベッドで、うたた寝をしているようなリラックスした姿で、それは、もちろん弓指の創作でもあるのだけど、その力が抜けた姿は、おそらく、見たことがなく、でも、魅力的な作品が載せられていた。
https://taro-okamoto.or.jp/exhibition/弓指寛治-饗-宴/
岡本太郎記念館はかつて太郎さんと敏子さんが住み、生活と制作をしていたところだ。
1996年に太郎さんが亡くなり、1998年に敏子さんによって開かれた場所になった。
その記念館にもう一度「生活」を立ち上げ、敏子さんや太郎さんが何を見ていたのか、
かつてここに居た人たちに思いを馳せる空間を用意したい。
弓指寛治はそう言います。
太郎と敏子の生活と思い…。
重心はむしろ敏子にあるし、敏子をとおして太郎を見ている。
かつてないユニークな視点を引っさげ、ここ岡本太郎記念館に乗り込んできました。
「敏子さんが何を見ていたのか、どんなことを考えていたのか」「芸術や芸術家を後世に残すことって何なのか」……。
半世紀にわたって太郎と併走し、太郎没後は岡本芸術復活に向けて奔走したひとりの女性の人生をテーマにした弓指寛治の問いは、岡本太郎を美術史の視座とは異なるレイヤーでグリップしようとする試みであると同時に、この展覧会のコンセプトを支える創作動機そのものです。
弓指寛治“饗宴”
やっと行けたのが、会期終了間際だった。
表参道の駅で降りて、ハイブランドのカッコ良すぎる建物などを見ながら、岡本太郎記念館まで歩く。
何度か来ているのだけど、毎回、微妙に迷いそうになる。
2階が展示室になっている。
平日なのに、人が多いのは、もうすぐ展覧会が終わってしまうからだと思う。
最初の展示室は、人が多かったので、最初に、「明日の神話」の壁画の発見の部屋へ行く。
入り口には、岡本敏子が、「明日の神話」を「確認」したときを、絵画にした作品が飾られていた。
「明日の神話」
「明日の神話」は、1960年代末、メキシコで製作され、ホテルに飾られるはずだったのが、そのホテルが倒産し、その壁画自体が、どこかへ行ってしまった。それが見つかったのが、2000年代になってからで、そこから、運搬するために解体、そして修復し、最終的に今の渋谷駅に設置されたのが、2008年だった。
その過程を、その作業中に、どんな小さなかけらでも、全部、集めて、持っていった、ということを表すために、弓指は、その全部を、そのカケラ一つに一枚ずつの小さな紙に描くことで、その膨大さを表した。それは、執念といった個人的な気持ちではなく、志と言っていい、もっと大きな思いであったことが、展示室からあふれるほどの作品の数で、伝わってくるように思った。
そして、絵と、短い言葉が紙に書かれて、そのことで、その壁画の修復途中に、岡本敏子が亡くなった時までが表現されている。
それは、その事実を知ってはいたものの、再体験したような気持ちになった。
「思い」と「生活」
最初の展示室には、岡本太郎の作品と一緒に、岡本敏子が、岡本太郎と知り合ってからのことが、作品化されていた。
それも、岡本敏子から岡本太郎がどう見えているか、それも生活が伝わる作品が並んでいた。
スキーの時の話。寝ている岡本太郎。晩年、パーキンソンになってしまった岡本太郎。
どれも、なんとも言えないあたたかさのようなものが伝わってくるような作品だった。そして、二人の関係の強さが、自然にわかるような気がする。
ここに生活があったと思った。
一階も、いつものように見て回り、庭にも立体作品が並んでいるので、そこで、少しゆっくりして、天気もいいし、気持ちがいいと思いながら、記念館を去った。
弓指寛治の展示は、いつものように絵画を中心としながら、その空間も生かしつつ、とてもシンプルな技法を使いながら、新鮮に思えた。